昭和の思い出
それは夏の暑い日、小学校から帰宅する電車内のできごとである。吉祥寺と渋谷を結ぶ、私鉄・井の頭線のその時間はまだ混んでおらず、立つ人もまばら。古い車両の天井には、扇風機がハタハタと回っていた。何度目かの駅で、ドアから白い蝶がふわりと迷い込ん…
「赤いバケツのオリベッティ」そんなキャッチフレーズが蘇(よみがえ)る。タイプライターの形の、これはロール型のメモ帳入れなのである。アトリエの近く、「六本木AXIS(アクシス)ビル」の1、2階には素敵な輸入インテリア雑貨のお店がある。そこで見つけて…
官女A「あー、やれやれ、くたびれた。髪ボサボサで、セットにも行きたいわ~」 官女B「どうせもう人に見られることもないんだし、来年のお出ましにはどうせ寝ぐせがついちゃうわよ」 宴の後、また一年の眠りにつく雛人形 たち。楽屋で笑いさざめきながら従者…
これは三上戸(さんじょうご)の、泣き上戸君。そのほかに、笑い上戸、怒り上戸くんがいる。小さいころ兄にいじめられて泣くと「やーい、泣き上戸め~」とからかわれたものである。 三人官女は、お姫様のお輿入れ(こしいれ)に随行してきたお付きの女官。後…
昨年引っ越した新しいアトリエにお雛さまを飾った。2年ぶりである。子供の頃は母親が飾ってくれたものだけれども、自分で並べるようになるとつい出しそびれてしまう。2月が短いこともあり、ひな祭りは3月に入ってすぐであって、気が付いたときにはあまり日が…
91歳の母が裁縫をしながら、何とはなしに話題が戦争中のことになったので、忘れないように書き留めておく気持ちになった。 母は昭和19年に薬専(現在の薬科大学)に入学した。 「20年、3月10日の東京大空襲のときは、東京目黒の五本木の学生寮にいた。東の…
江戸時代が終わり文明開化がもたらされた明治は激動の時代であっただろうが、着物が洋装になり肉を食べるようになったとしても、庶民の感覚としてはさほど変わっていなかったのではなかろうか。 その後も、東京オリンピックのころ、街は開発されていったが、…
昭和の少女なら、たいてい夢中になった少女漫画雑誌「りぼん」。 小学校の帰り、家の近くの地下鉄駅を上がったところに小さい本屋さんがあった。毎月「りぼん」の発売日にはそこに寄り道して買うのである。 今、そこにはホンダのビルが立っている。 引っ越し…
昨日からのつづき 母の裁縫箱にあった缶のひとつには、古いカミソリが入っていた。 これは、ミシンで縫った糸を切ったりするときに使う。 なんて呼ぶのかな? 水色のプラスチックのケースに、ネジ2つでカミソリを止めるようにできている。 安全剃刀を流用し…
昨日のつづきだが、 これは、風月堂(ふうげつどう)の小さいゴーフルの入っていた缶。 懐かしいわあ。 こちらのゴーフル缶のボタン入れは、裁縫箱の中で始終目にしていたせいか、ちっとも珍しくもないと思っていた。 たまたま、昨日のスイスの老舗「レッカ…
今日、母の裁縫箱を開けてみて、思いがけず変わったものを見つけた。 これはレッカーリフース(Lackerli-Huus)というスイスのお菓子屋さんのタブレット入れ。たぶん、昭和30年代のものと思われる。 母の針箱は、なんだかわけ分らないモノがたくさん入ってい…
新しい茶箱(ちゃばこ)が来た。 茶箱とは、お茶の葉を保管しておくための木箱で、中にブリキや亜鉛などの金属が貼りめぐらされている。 湿気を防ぎ、防虫、防臭効果もあると言うことで、昔は大切な着物、衣装やお道具類をこの茶箱にいれてしまっていたもの…
官女中「あーやれやれ、ずっと立ってるのって疲れちゃうわ。いいわね、あんたたちは座ってられて」 官女左「ナニ言ってんの、お姐(ねえ)さんだって、夜に皆が帰った後で、おちゃんしてたでしょ」 官女右「ネエ、おちゃんって何?おちゃんって」 官女左「い…
これは、昭和の編み物、母が鉤針で編んだパッチワークである。 なんと、私の生まれる前からあった。 もう、作ってから半世紀以上経っているわけである。 これは兄たちのセーターや、いろいろな残り糸を使って少しずつ編みためたもの。 戦後、物のない時代だ…
これはまた立派なクチナシの実、オレンジ色。 クチナシの実からは染料がとれる。 繊維を染めるだけでなく、食品にも使う天然の着色料。 昔々、お正月のきんとんを黄色に染めるのに母が使っていたのをあいまいに記憶している。 私はやったことはないけれども…
石油ストーブの上でやかんがしゅんしゅん言っている。 暖かい。 電気を使わない昔ながらの石油ストーブ。久しぶりだな~。 川口の方へ和紙の工房へ出かけたこの日、昔ながらのお蕎麦屋さんでお昼をとった。このやかんのへこみ具合がなんともいい感じだ。 メ…
久しぶりに捻挫をした。数十年ぶりである。 今日はごく個人的な日記である。(まあいつもそうだけど) 先週土曜日の朝、人気のない新宿御苑の中を機嫌よく歩いていたところ、歩道のマンホールの横に大きな段差があったのに気が付かず、あっと気がついた時は…
ナツツバキは夏の始まりに咲く爽やかで清楚な花。 ツバキという名がついているが、葉は柔らかく落葉する。ツバキのようにチャドクガがつかないと聞く。 庭木によし。
前回の「母の華道①」からずいぶん経ってしまった。 つづきであるが、母はこうしたわけでいろいろと社交に忙しく、私は家にとりのこされたこととも多い。 そっと出ていく母の背中を廊下で見つけ、追いかけ、玄関をはさんで親子で扉を押したり引いたり。 つい…
この古い写真は昭和36年ころだと思われる。水盤には母の活けたアイリスの花。(ペコちゃんのような顔の私) 昔の女学校は、お茶お花、裁縫は授業の正科だったから、母はごく普通にいけばなはできたし、嫁ぎ先の姑(しうとめ)が華道の先生がったから、さらに…
昨日からの続き そして引っ越しの際、茶箱の中から古い風呂敷に包まれた書類一式が出て来た。代々女系(にょけい)の家にようやく生まれた男子である父であるから、大澤家、近藤家、末永家など祖先の書きつけが集まったものらしい。黒田家へ養子に行ったり来…
昨日からの続きだが、そんなわけで昭和24年、両親は結婚したのである。 髪の結い方こそ今と同じ高島田であるが、昭和20年代までの花嫁衣装は、白無垢ではなく黒の引き振袖であった。 着物の裾(すそ)と袖(そで)の下の方に中心に柄が描かれている。 結婚後…
前回の続きであるが、昭和20年頃、これは母の大学時代の写真である。先日の引越しのその折、たくさんの古い写真が出て来たので、スキャナーでとっているうちに載せてみる気になった。 母は東京の昭和薬専(現:昭和薬大)を卒業して、国鉄病院に入りそこで父…
先日、母が長く住み慣れた千代田区麹町の実家の引越しをした。 その折に、古い写真などが大量に出てきたのである。 母はこの引越しを機会に、「自分の昔の写真は死ぬ前に全部捨てる」と言ってアルバムを大量に整理していたのだが、母の若いころなど、もった…
この季節になると恋しくなって、ランチにデパ地下でタケノコご飯を購入。 「儀式」ってこんな味かも・・・。出来合いの筍ごはんはアクもなければ香りもない。 思い出すのは子供の時分。春になるとどこからかタケノコが届いて、母がご飯に炊いてくれた。大き…
昭和の初め、私の母の雛祭(ひなまつり)。母のアルバムから、すごく古い写真が出てきた。
終バスに乗って家に帰った、それはまだ昭和の話。 (この写真は「バス」というだけで、この話とは関係ないのだが・・・。) どこの帰りだったか忘れてしまったが、母に手をひかれ、暗い道のバス停で路線バスを待っていた。 反対側の車線を、逆の目的地を目指…
最近メディアで、今後起きるであろう大震災の情報を盛んに流している。 家の物置の荷物を整理していたら、昔のアルバムが出てきた。1923年に関東大震災が起きた、その直後に撮った写真のようだ。祖父は明治生まれで、当時大学を出るかでないかの年だったろう…
小さいときは泣き虫で、いつも兄にからかわれては怒り泣き。泣きそうになるたびに「泣き上戸になっちゃうぞ~」と脅かされていた。 でも、この泣き上戸くんは可愛いし、別に脅しになってないな。
今朝、突然、おひな様のことを思いだして、出してみることにした。 小さい頃は毎年、母が出してくれていたのだが、このところずっとしまいっぱなし。本当は、おひなさまは毎年飾ってあげないといけないのだが。