パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

タケノコご飯 筍 bamboo shoot

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この季節になると恋しくなって、ランチにデパ地下でタケノコご飯を購入。

「儀式」ってこんな味かも・・・。出来合いの筍ごはんはアクもなければ香りもない。
 

思い出すのは子供の時分。
春になるとどこからかタケノコが届いて、母がご飯に炊いてくれた。
大きな鍋に水をはり糠(ぬか)をたっぷりと入れて、太い筍をぐらぐらとゆでる。

 

黒い泡がたくさん浮いてきてはすくって、ずいぶん長くかかったような。

茹でたての筍の、こげ茶色の毛の生えた皮をむくと、湯気と一緒に新しい木の香りがふんわりと漂う。
クリーム色の柔らかい中身を縦に割って、小さな部屋の中の白い粉を丁寧に洗ってから細かく刻む。

うちはお米から一緒に炊くのだ。
昆布を敷いて、酒とほんの少しお醤油を入れる。
その頃はガスの炊飯器だった。

蒸気でお釜の蓋がぶつぶつという。
炊きあがり、おひつに移す。
後に残った、鍋の底のお焦げを小さく握って塩をパラっと振って渡してもらった。

 

お茶碗に盛られたそれは、本当はそれほど好きだったわけではない。
ただ、春になるとやってくる行事のようなうきうきした気分で、ずっと母のそばにいるのが楽しかったのである。

 

 

一つずつの手順は教わったわけではないけれど、なんとなく覚えていて、
大人になって思い出しながら作ったこともある。

私ではあく抜きがうまくいかなくて、いつも筍はほんの少しいがらっぽいピリピリとした味がする。
やっぱりそれほどおいしいと思わなかった。

 

 

筍ご飯なんて、昔は庶民の食べ物だったから、わざわざ外で食べることなんてなかったと思う。

世の中の流れで、家で手をかけて作ることがなくなったのか個食が広がってきたのか、だんだん特別な食べ物のようになり、いつからか料理屋でも出すようになった。

料亭の味付けは上品でおいしいけれど、やっぱり小さい頃に食べたあの、たいして好きでもなかった筍ご飯を懐かしんでしまう。

 

癖のある味や香り、それはクセになる味であり記憶になる香り。

次の世代が私の年になったときのために、どれだけの思い出を残せるか、はなはだ心もとない気持ちがするのである。

 

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 昭和のキッチン。

当時住んでいた家は、港区赤坂檜町(ひのきちょう)十二が番地だったが、
昭和42年に町名が消滅、赤坂八丁目になった。

 

 

 

 

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