パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

母の裁縫箱②風月堂ゴーフルのボタン入れ Sewing Box

20151230母の裁縫箱 ボタン入れ.jpg

 
昨日のつづきだが、
 
これは、風月堂(ふうげつどう)の小さいゴーフルの入っていた缶。
懐かしいわあ。
 
こちらのゴーフル缶のボタン入れは、裁縫箱の中で始終目にしていたせいか、ちっとも珍しくもないと思っていた。
たまたま、昨日のスイスの老舗「レッカーリフース」のタブレット缶を見つけたために、
このゴーフルの缶もあらためて注目してみた。
 
昭和の時代、それほど洋菓子がなくて、風月堂や和泉屋(いずみや)、不二家(ふじや)なんかがおやつの中心だった。
 
 
 
風月堂のゴーフルは、15センチくらいの大きいものと、この7~8センチくらいの小さいサイズがあり、この缶は小さいサイズ。
 
薄い、鉱泉(こうせん)せんべいのような2枚の生地の間に、クリームがサンドされている。
白、ピンク、チョコレートの3色が交互に入っているのだけど、
小学生の私はピンクが好きだったので、チョコが出てくるとがっかり。
 
下からピンクを掘って先に食べて、なくなると次に白を食べてしまったりして、
最後はチョコばかりになった。
 

確か40年くらい前まで、ハワイのワイキキ海岸の端のあたりにも風月堂のレストランがあって、父が気に入ってよく行っていたっけ。
 
20151230母の裁縫箱.jpg
 
昔、北の部屋の押し入れの中には、和泉屋のクッキーの空き缶がたくさんあって、それぞれフタを開けると、色とりどりの端切れや、毛糸、レースやらスパンコールのついたブレードなど、母の手芸のものが入っていたものである。
 
こういうボタンって、捨てられないから取っておくけど、あまり使うことがない。
リボンや、端切れなど、山ほど。
 
「昔の女の人って、なんでも取っておくんだな。」
 
 
と感慨深くしていたのだが、そういえば、母がつい最近こういう余りものを使って工作した作品があったのを思い出した。
写真フォルダを探してみたら、2013年に撮ってあった。
 
20151231母の裁縫箱 作品.jpg
 
2013年のある日、リビングのテーブルの上に裁縫箱とこれ(タペストリー?)があったので、
 
「何これ?可愛いじゃん!」
 
と言ったら、照れながら母が
「うん、ちょっとね、面白いから作ってみた」
 
このざっくりさ。大胆さ。何の役に立つのかわからなさ。
私の原点が、ここにあるような気がする。
 
 
人に見せるつもりじゃなく作ったのに、
『私がブログに公表してると言ったら怒るだろうな・・・。』
と、思いながらこっそりアップしてみるのであった。
 
 

 

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