昨日からの続き そして引っ越しの際、茶箱の中から古い風呂敷に包まれた書類一式が出て来た。
代々女系(にょけい)の家にようやく生まれた男子である父であるから、大澤家、近藤家、末永家など祖先の書きつけが集まったものらしい。黒田家へ養子に行ったり来たり昔のこととて入り組んでいるようである。
古井風呂敷の中の文書は、汚くてとてもさわる気になれなかったのを手袋をはめて静かにはがしてみると、数冊の花の教本が出て来た。
活け方のデザイン画集のようなものもある。
母曰く、
「お義母さんは花の達人だった、庭からちょっと枝を切ってきて活けるとそれはそれは素晴らしい出来栄えだった」
というので、祖母の手によるものかと思ったが、一番最後のページに書いてある為書の年号をみると
「天保14蕟卯三月十四日」(1843年)となっているので、もっと古い人のもののようだ。
私の母が父や義母に昔聞いたことを、また私が聞いたことなので不明な点も多い。
B5ほどの和綴じの本は、ごく細い筆で細かくデッサンしてある。
32頁の中には、彩色の施した頁もある。
印刷もなく鉛筆もない時代なので、直接に和紙に筆で書いていくのだろう。
紙はまだ貴重なものであったはず。
何枚も清書したのではなかろうか、裏表紙には反故紙のようなものが使われていた。
表の題字も汚れてしまい、観鼎というようにも読めるがはっきりせず流派も定かではない。
この次に明治32年(1899年)「正風遠州流水揚秘書」という書きつけがあり、これが曾祖母のもの、大正五年の「誓證文之事」というのが祖母のものらしい。この宣誓書がかなり面白いのである。
つづく