終バスに乗って家に帰った、それはまだ昭和の話。
(この写真は「バス」というだけで、この話とは関係ないのだが・・・。)
どこの帰りだったか忘れてしまったが、母に手をひかれ、暗い道のバス停で路線バスを待っていた。
反対側の車線を、逆の目的地を目指す都バスが通る。
バスの正面、運転席の上には終点の駅名が書かれており、そこが緑色に光っている。
「ホラあれは、緑だから終バスからひとつ前のバス。最後のバスはサインが赤いのよ」
母が言う。
当時は夜の9時ともなれば街は真っ暗。
光と言えば、バスの窓から漏れる灯りが、ぼんやりと遠ざかって行くのが記憶に残っている。
昭和の時代、最終バスは最終電車に比べてとても早かった。
その後、いっときは夜の11時くらいまで走っていたと思うが、最近はまた早く終わってしまうようだ。都会ではバスの果たす役割は減ってしまったのだろうか。
そのころ、まだワンマンではなくバスには車掌さんがいて、黒いガマ口のような小さいバッグを首から下げていた。
乗客は切符を買ったり、回数券を持っている。(回数券は10枚くらい綴られていて、使う前に切り離してはいけない。)
車掌さんはハサミのような形をした器具で、乗客の切符にパンチをして回るのだ。
それがとってもやってみたくて、ある日、切符とパンチがセットになったおもちゃを買ってもらった。
とても嬉しくて、調子に乗っておもちゃの切符だけでなく、本当の回数券までパチパチ穴をあけてしまい、母におおいに怒られたものだ。
バスの思い出は多い。
通学の時はいつも定期で乗り降りしているのに、その日はどうしたのだろう?
夕方、小学校から帰るときに、お金がなくてバスに乗れなくなってしまった。
新宿駅西口の地下の交番の前で、おまわりさんに相談しようかどうしようか・・・と行ったり来たり。
1時間もそうしていたら、見かねた中の警察官に声をかけられた。
「バスに乗れない・・・」と言いかける声もつまって、あとからあとから涙がぽろぽろこぼれてしまう。
促されるままに中に入ってひとしきり泣いた後、事情を聞いたお巡りさんがお金を貸してくれた。
バス代、子供20円。(たぶん)
翌日、帰りにその交番に行ってお金を返したのだけれど、同じ警察官ではなかったと思う。
今思うと、若かったのか年輩だったのかも思い出せない。
小学生から見たら、大人の男の人はみなおじさんだったから。
学校からの帰宅時は、新宿駅西口から田町行きのバスに載って、乃木神社で降りなくてはならない。
かたかたと揺れるバスのリズムについ居眠りして、終点の田町まで行ってしまったことも1度や2度ではない。
たいてい、運転手さんが帰りもそのまま乗せてくれた。
大人はみんな優しかったし、それぞれの裁量があって、のんびりしていたと思う。
そういえば10円しか持っていなくて、おまけしてもらったこともあった。
都バスの色はクリーム色の車体に、えんじ色のライン。(たぶん)
今はバスに乗って降りるまで、一言も口をきかないで済んでしまう。
一事が万事、人とかかわらないでも用が足りてしまうようになった。
それはそれで便利だ。
大人になれば疲れてしまい、人と話したりするのがわずらわしい時もあるけれど・・・。
でもそれが小さい頃ともなれば、大人になるための、コミュニケーションの訓練だったのかもしれないな。