この志野(しの)のお茶碗は、古いものの写しではあるが母の作品である。
「志野の茶碗は60歳を過ぎて使うもの、と言われたものだ。今はそんなことあまり気にしないみたいだけど・・・」
そういいながら、母は朝のお茶をたててくれた。
-若い頃には似合わなくて、年を取ってからこそふさわしいもの。-
そういうものが、この世にはあるというのが、とても素敵なことのように思える。
私の小さい頃は、母はいろいろなお稽古ごとをしていて、その中の一つに陶芸があった。
私が言うのも生意気なのだが、母は素人ではあるが、作品にはなかなか洒落たものがあるし、それを日々使って、自分で楽しんでいるのがとてもいいと思う。
昔は陶芸倶楽部の建物にエレベーターがなく、足の悪い母は上の教室まで登るのが大変だということで、80を前に辞めてしまった。
それからだんだん会員の年齢層が上がって、今ではエレベーターも出来たらしい。
上の写真はまた別の志野茶碗。
こちらは、同じ会員仲間であった、当時の出光(いでみつ)の社長、出光昭介氏の作品。
実業家であって本職の陶芸家ではないが「出光さんは玄人(くろうと)はだしだった」とは母の弁。
1989年に母が購入したものである。
気に入って買ったようである。
母も義理で出品していたのだそうが、せっかく苦労して作ったものが売れてしまっては困るので、
「売れないように、売れないように」と願っていたそうである。
残れば最後は自分で買う。だから、あまり値段が高くつきすぎても困るとか?なんとかかんとか。
ややこしいお稽古の世界。
志野には、荒々しい作風のものもあるが、これはふっくらとして優しいところが、少し枯れた女性の手には似合うような気がする。