パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

秋の夜は長く深く

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思索の秋とはよく言ったもので、日が短くなり早々に暗くなってくると、なんとなくもの思わしげで、自分の内側に目をやりたくなる。

春先はソワソワと落ち着かなく、夏の間は日の長い分、余計に動こうと欲張って疲れるだけだったりするが、今日の様な荒れた天気の夜は、家の中でじっくりと何かに取り組んでみようという気になるものだ。
といっても、哲学書を読むだとか難しいことではなくて、むしろ余計なことを考えないで手を黙々と動かせるものがよい。
鉛筆デッサンは、「対象物を見つめては紙にそのまま映していく」ことだけに集中できていい。時間がたつにつれ、いつしか何も考えていないような気持ちになれる。色をつけ出すと、あれこれ雑念が入ってくるので、気ぜわしくなってしまう。だから一色。

こんなとき、絵を描いたりする代わりに、銀磨きやアイロンがけや縫物なんかが好きだったら、家の中がどんなにきちんとしているだろうと思ったりもする。(子供のころもし算数ドリルや、漢字書き取りが好きだったら、夏休みはもっと楽しかっただろう。)
実用的なことはさっぱりだ。
(わたしごときがとても僭越なことだが)お茶室にいて好きだなと思うのは、「お手前」とよばれる作法は手順が厳密に決まっているために、習熟して手と足が自然に動くようになると、そこに気を取られなくなる。音だけがあり、底のほうで時間が流れていき、結果として、心がとても自由な状態にいられる・・・。様な気がする。(あくまで、そんな気がするだけだ)
何か考えているのかもしれないが、考えるそばから忘れていくから、空っぽになれるのかもしれない。自分がその場所にいなくなってしまうのか、その空間全体と自分の境目がなくなってしまうのか、あえて説明すればそのようなことなのだろうか。
 
ま、ちょっととりとめなく・・・。
芸術の秋、読書の秋、そして食の秋も付け加えておこう。
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