パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

母の茶道② tea ceremony

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40代の頃からだから、もう半世紀近くになるだろう。
母は毎朝、お薄(おまっちゃ)を自分のために二服(二杯)たてる。
 
来年90歳になろうとしているが、いまだに元気なのは、ひとえにこの緑のお茶によるものだろう。
 
部屋の一角に小さなコーナーをしつらえ、誰に見せるわけでもないが、季節に応じて飾り付けをし茶碗を変えて楽しんでいる。
 
お道具は自分の気にいったものを使う。
名物(めいぶつ)ものにはこだわらず、意匠が合えばむかし海外旅行で買った蓋物を香合(こうごう)に見立て、カフェオレボウルを抹茶茶碗にすることもある。
 
 
数寄物(すきもの)とは、生業(なりわい)とせず芸事に打ち込むこと。
母は茶道の準教(お茶名のひとつ上)ではあるが、お茶の先生として生計をたてたことはない。
 
ただ、歳時記を生きている人だ。
 
 
その季節季節に関わることを、なにやら話しかけてくるのだが、こちらはふんふんとうなずいているものの、耳の中を右から左へ通り抜けるばかりでたいして聞いてもいない。
 
それでいて、よそで何かのおりに年中行事など目にすると、デジャヴュのように思い出すのだ。
 
 
最も長く一緒に過ごしたひとが、深いところに影響をおよぼす。
この年になってようやく気がつくのは、一番の先生は母親であったということだ。
 
母親の佇(たたず)まいって、大切だ。
 
 
 
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