パルファン サトリの香り紀行

調香師大沢さとりが写真でつづる photo essay

鵜飼(うかい) 毎朝の一服 tea ceremony

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 鵜飼(うかい) 毎朝の一服 tea ceremony

 
昔懐かしい、鮎のお菓子が食べたくなった。
 
たぶん、このところ和菓子店でちらちらと目にしていたからだろう。
世の中に現れている季節感を、なんとなく感じているのかもしれない。
 
 
「そういえば、そろそろ鵜(う)飼いの季節・・・」
 
毎年この季節に、母が鵜飼いのテーマでお茶を点(た)てていたっけ。
 
 
そこで、母の茶道具の引き出しから、「鵜飼い船」の茶碗を引っ張り出し、
鮎の和菓子と取り合わせていただく朝の一服。
 
漆黒の夜を背に、金彩の鵜飼い船とかがり火が抹茶に浮かぶ。
 
 
今日はよく晴れてカラッと乾いているせいか、お薄の味がことのほかおいしく感じられる。
 
 
 
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「おもしろうてやがてかなしき鵜船哉 芭蕉
鵜船は夏の季語であり、5月はもう夏のはじまり。
 
 
この年になってようやく気がつくのは、一番の先生は母親であるということだ。
長く一緒にいて、影響をおよぼし続ける存在であることに、おりおりと気が付く。
 
子供というものは言うことはきかないけれど、親のやることは真似をする。
教わると言うよりも、何を言って何をするか、その言動を見ているうちにしらず染みこんでいるのだと思う。
 
「習うより慣れろ」とはよく言ったものだし、
 
「教えたがる人の教えほど、人に沁(し)み込まないものだ」とは、実体験から感じるところである。
 
 
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母はいつも言う。
「私は頭が悪いからね、1回じゃなかなか覚えられないでしょう。だから、本も繰り返し読んでいれば少しは引っかかると思って、若い頃から毎日繰り返し茶道具の本を眺めていたものだよ」
 
 
そういう母の贓品(ぞうひん)は、普段使いのもの。
美術品というわけではないけれど、毎年繰り返される歳時記を楽しんで、日々お茶の道具を取り合わせ抹茶を立てている。
 
そこには、「知識」を楽しみに変えていく知恵が満載なのである。
 
 
この半年、私も毎朝、自分のためにお茶をたてはじめて、いつしかその工夫の面白さにはまり始めている。
 
 
お茶はただ喉の渇きを潤すだけのものではない。
人が人らしくあるための、優しい「くすり」なのだと思っている。
 
 
 
 
 
 
➤抹茶の香り Hyouge ひょうげ
ほろ苦い抹茶のグリーンとふわっとした泡立ち。すっきりとした甘さが残ります。
 
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