パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

夏目漱石 「三四郎」とヘリオトロープ-2

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三四郎」 夏目漱石の作品で有名になった香水。

先日、ロジェガレの「ヘリオトロープ」という香水記事を書いていて、「三四郎」を読み返した。誰でも学生時代に読んだ(読まされた)だろう。ほほー、こんな小説だったっけ、と新鮮な感じを受けた。若いころ読んだ時はきっと、ちっとも面白くなかったに違いない。

 
地方から出て、東京の大学へ入学した三四郎の、何もかもが驚きの都会の学生生活。時代を感じさせる、いわゆる青春小説だ。朴訥な青年と、モダンで自由闊達な美彌子との恋愛の進み具合は、現代からみるとはがゆくもどかしい。牧歌的だ。

 

メリハリのあるストーリーというよりは、叙情的な表現が美しく、言葉のエッセンスをちりばめて日常を淡々と綴っている。もし、彼(三四郎)が今、ブログでこの毎日を書いていったらさぞや人気が出るだろう。

古い言葉使いがいまではレトロで心地よい。漢字も吟味されているし、こんな風に情景を切り取って描いて見せられたら素晴らしいと思う。


私の好きな言葉のくだりだ。
 

「蒼白い額の後ろに、自然のままに垂れた濃い髪が、肩まで見える。それへ東窓を洩れる朝日の光が、後ろから射すので、髪と日光の触れあう境の所が菫(すみれ)色に燃えて、活きたつきかさを背負ってる。それでいて、顔も額も甚だ暗い。暗くて蒼白い。その中に遠い心持のする眼がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただ崩(なだ)れるように動く。・・」

 

ある日町でばったり出逢った美禰子は、店で三四郎にこの香水「ヘリオトロープ」を選んでもらう。
物語の最後、三四郎との別れをほのめかせるシーンで、この香りが再び効果的に使われている。
 

「手帛(ハンケチ)が三四郎の顔の前にきた。鋭い香がぷんとする。『ヘリオトロープ』と女が静かに云った。三四郎は思わず顔を後へ引いた。ヘリオトロープの壜。四丁目の夕暮。迷羊(ストレイシープ)迷羊(ストレイシープ)。空には高い日が明かに懸る。」ー三四郎から


 

「それから」「門」といったこのあとにつづく重い小説より、軽妙な「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」のほうが、娯楽性をそなえつつ文章に品格があって、私は好きだ。
 
三四郎」はその境目にあって、軽いようでいてそこはかとない哀しみが感じられる。これ以上重くても、軽くてもだめ・・。


 芸術は芸術で、素晴らしいものは素晴らしい。けれども、深刻だから高尚だ、というのはステロタイプな考えで賛成できない。苦しみも悲しさも外に垂れ流さず、軽やかに笑ってしかも上滑りしない、というのは理想なんじゃないだろうか。

 



 

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