パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

1900年以前のブランド香水 antique perfume

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 1900年までのブランド香水はまだシンプルな処方のものが多く、あっさりとしたシトラスタイプや花の香りを再現したシングルフローラルなどが多い。

4711(フォーセブンイレブン)1792

ドイツ、ケルン地方で作られたこの香りは、「ケルニッシュワッサー」といいフランスにはいって「オー(水)デ(の)コローニュ(ケルン)」と呼ばれ、オーデコロンとなった。

イタリア人のジャン・マリ・ファリナによって作られたこの柑橘系の香りは、銀行家WILHELM MULHENSに引き継がれ、1792年ドイツのケルン地方で発売される。ケルン地区4711番地に会社を設立、社名も 4711番にした。

 

この香りは、ナポレオンの欧州遠征のときにフランスに持ち帰られ、またたく間に流行したと言われているが、元をたどると、世界最古の薬局であり、教会でもある、イタリアの「オフィチーナ・プロフーモ・ファルマティカ・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ」で1500年に作られた香りに行きつくのではないかと推測される。

フランス・アンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディチが、この香りをパリに持ち込み、その後イタリア人のジョバンニ・パオロ・フェミニスがこの香りとともにケルンに行き、1725年にアクア・ディ・コローニャを作ったとされる。 

これも意味はケルンの水なので、年代に若干のずれがあるが、この二人は同一人物もしくは一族ではないかと思う。

 

4711は柑橘系のシンプルな香り。爽やかだがラストがやや、荒い。昔は香料の種類も少なく、複雑な処方ができなかったのだろう。

19世紀以前は、男女の別なく香りを共有していたので、発売当初はこの香りもシェアフラグランスだったかもしれない。が、今となってはアフターシェーブローションを思わせるクラッシックなシトラスフゼアのメンズコロンだ。

 

これが、というわけではないが、男性用香水は、ラストノートまでいい香りのものは少ない。男性はデパートなどでじっくり選ぶのが面倒くさいとか、恥ずかしいとかで、トップノートだけを試してさっと決める傾向があるからだと思う。

メーカーもおおむねトップノートのインパクトに力を入れているようだ。本来はミドルからラストにかけてが、自分にとっても心地よく、人に対してもアピールできる部分なのだが。

 

オーデコロンインペリアル  ゲラン 1852年

フランスワパスカルゲランは、1852年、ナポレオン1世の甥であるナポレオン3世ルイ・ナポレオン)の結婚式の際、皇妃ユージェーニーに贈る香りの創作を依頼された。

"ブーケ・ユージェニー"を皇妃は大変気に入り、彼をお抱え調香師とするとともに、この香りの販売を許可する。彼は皇室に敬意を表し、香りを「インペリアル」の名で1860年に発売した。

ボトルにはナポレオン皇室の紋章である蜂と、蜂の巣の模様が施されている。
現在でも販売されているこの香りは、シトラスコロンの王道と言えるであろう。

 

 

Jicky ゲラン 1889年

ジッキーは、ゲラン家2代目調香師、エメ・ゲランの失われた恋人の名と言われる。
3代目ジャック・ゲランの愛称という説もあるけど、ロマンチックな恋人説に軍配。

 19世紀の香水は自然の模倣であり、バラやジャスミンなど、花の香りを忠実に再現したものがよいとされた。 それが、貴婦人のお好みと思われ、職人的な調香師の仕事であった。

 

しかし、ジッキーの出現によって、香水がただの商品から芸術品に、職人は芸術家になる。この香水から現代香水が始まった。

ラベンダー、ベルガモットのトップから、フローラルを経てラストのバニラまで、複数の香料が複雑に絡み合って新しい香りが生まれる。

さらに、より個性を引き出すように、合成香料「クマリン」と「バニリン」が足されている。

ラベンダーやトンカビーンズ、干し草、ウッドラフの中に存在するクマリンは、桜餅の香りと言えば分りやすい。バニリンは、バニラ豆の上に析出する白い結晶である。

この甘い二つの香りはジッキーの中心的な役割を果たしているが、ここで使われた合成香料は、今なされているような、「香水を安価にするための天然物の置き換え」のためではなく、天然香料だけでは表現できない、新しいニュアンスを出すために採用された。

 

これらの新規化合物がつぎつぎと発見され、取り入れられるようによって、香水はそれまでにはない、イメージを表現できるようになった。おそらく1970年代終わりくらいまでは、天然香料のふくよかさと、合成香料の新しさを持つ、美しい調和のとれた傑作が次々と生み出された。

 

この香水を初めにムエット(匂い紙)で見た時、ラベンダーとベルガモットがピンと立って、男性用のフゼアっぽい印象を受けた。

しかし手につけるや、むしろ甘いバニラのパウダリーが上に現れて、男性・女性、どちらでもあり、どちらでもない香りになった。

もちろん、最近のシェア・フレグランスなどとは全然かけ離れているけれど、19世紀頃は男女ともに、同じ香りを区別なくつけたと言うから、不思議ではない。

 

それより、ジッキーの真価が世の中にわかったのが、発売後20年以上たった1912年だというから、その方が驚異だ。発売当初はあまり、受け入れられなかったらしい。今どき、売れない香水を20年も大事に販売するなんて会社があるだろうか?

 

デザインやアイデアの消費が早く、しかもすぐに結果を求める現代において、一歩二歩先の商品なんて待っていてくれない。早く進みすぎるから、本当の進化が遅れてしまう、なんてのが今の時代だ。

 

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1892年 Heliotrope

「『ヘリオトロープ』と女が静かに云った。三四郎は思わず顔を後ろへ引いた。」
三四郎 夏目漱石

ロジェガレの「ヘリオトロープ」と言う名の香水。

夏目漱石の小説、三四郎のヒロイン美禰子がつけていた香水と言われている。
しかし、小説は1908年の作で、ロジェガレの香水は1924年発売だから、理屈に合わない。
別のブランドの香水かもしれない。(※後日、再度調べたところ、1892年に最初のヘリオトロープが作られた模様。)

 

ヘリオトロープ南アフリカ原産の小低木で、濃い紫色の花を咲かせる。甘い、バニラの様な匂いだ。この香水も、非常に甘い香り。

小説の書かれた当時は、香水もハイカラなもので、都会的なヒロインを表す小道具として象徴的に使われた。と思う。

 

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