パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

日本文化の香りと感覚(Scent and Sense in Japanese Culture)@チューリッヒ芸術大学講演2

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9th/Nov/2018  スイス・チューリッヒ芸術大学<perfumative>にて講演しました。日本語原文です。

 

結論

香水は、目に見えず、形がないからこそポストモダンともいえる芸術になりえると思います。日本の美意識とは、まさに「形のない美」を楽しむということ。今日は、日本の感覚、日本の美意識を通じて、皆様に香りの新しい価値観を発見していただければと考えています。

 

要旨

「移ろいやすく、永続的でないものは、芸術といえない」。その西洋の考え方は、日本人にとっては逆になじみにくいのです。そもそも、日本文化では、儚(はかな)いものに価値を見出してきました。それゆえ、香りや香水の受け止め方にも西洋とは違いがみられます。日本では軽くほのかで、風通しのよい香り(香調)が好まれます。"香水砂漠"とも呼ばれる日本の香水市場。一方で、香りつき柔軟剤は海外と同じように拡大し定着しています。もちろんこれらの好みの違いは、気候や食習慣の違いによるところもあります。しかしもっとも大きな要因は、日本文化に根付く美意識だと私は考えます。そこで、西洋と日本人の香り、香水の受け止め方の違いについて以下の順に話します。

1.芸術とは

2.日本の伝統文化における芸術性

3.日本は香水砂漠?

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1.芸術とは

 

今回の講演のテーマを頂いたことが、香りと芸術について改めて考える機会になりました。まず「芸術とはなんであろうか」という問いをしたいと思います。

 

西洋では「art is expected to have eternal qualities(会議のテーマから引用)」と言われるそうです。

永続性が芸術の条件であるならば、それはどれくらい続けばいいのでしょうか。宇宙の一生から見て、100年、1000年は所詮(しょせん)一瞬にすぎず、形あるものはすべて滅びていきます。

ならば「形ある物」は永遠ではありません。

 

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芸術作品は、「送り手である作者」と「受け手である鑑賞者」を結ぶ、「媒体」であると私は考えます。作者は周囲に存在する美を発見し、その感動を表現し、それをまた鑑賞する側が再発見します。

芸術は絵画や彫刻の中にあるのではなく、鑑賞する人の内面にあるのです。観る人に美意識がなければ、優れた芸術作品もガラクタです。

 

目の前の、形の向こうに見えるものを敏感に感じ、永く愛おしむ。それが日本人の中にある芸術の価値観なのです。もともと形のない、目には見えない「香り」に芸術を感じることはむしろたやすいのではないでしょうか?

 

 

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また、「時」は常に移ろっていくものです。同じ場所で同じ人と会っても、それは以前とは同じではないという考え方が、日本にはあります。それを「一期一会(ichi-go-ichi-e/one opportunity, one encounter」と言います。

この言葉はどの出会いも一生に一度だけという意味です。いつもその一瞬を大切にする生き方自体が「永遠」ではないかと、私は感じています。

 

 

2.日本の伝統文化における芸術性

「道」は、日本の美意識を代表する伝統文化です。芸術に永続性を求めるなら、華道や茶道、香道といった「道(どう)」という一つのスタイルも確実に芸術です。

ここでいくつかの「道」について、私の生い立ちに沿って紹介します。ここで特にお伝えしたいのは、「調和」と「永続性」です。

 

2-1.華道 

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Text book of Kado / 1843

花ほど私たちの心を和ませ、いやしてくれるものはありません。

私は幼い頃から植物が好きで、学校からの帰り道、ポケット植物図鑑を片手に道草をするような子供でした。母が自宅で華道教室をしていましたので、真似てお花を生け始めました。

 

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日本の華道と、西洋のフラワーアレンジメントは違いがたくさんあります。簡単に説明すると、フラワーアレンジメントは「足し算の美学」です。それは花をたくさん使って空間を埋めていくものです。一方、いけばなは「引き算の美学」です。最小限の草木と花で、空間を自然の一部のように表現します。枝ぶりを考え、葉を添えて、自然にあるような風情で生けます。

 

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華道を学ぶにつれ、花の持つ美しさを活かすためには、「全体の中の調和」を見ることが必要だということを知りました。例えば床の間(toko-ma, Alcove)に置かれる花は、部屋の調度にあったものでなくてはなりません。

私は調香にも同じ配慮が必要だと思います。花をメインテーマとしても、それを引き立てるトップノートや支えるラストノートたちが過不足なく組み合わされ、花や風景と情緒をそっくり表現します。

さらに、纏(まと)う人に調和し、さらに場所に調和をもたらし、その人の人生の1シーンを彩るような香水であること。それが重要だと考えています。華道の精神は私の香水の中にも反映されています。

 

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花の寿命は短いのですが、だからこそ花は永遠の命を得ていると、私は考えます。朝に咲いた花が夕方にはしぼむ。その儚さを、哀しみをもって慈しむのが日本の情緒です。永続的ではない、儚さに美をみつけ、それを感じる心を「よきこと」としました。この、何か愛しいものを「惜しむ」という心の在りようが、とても日本的だと最近では感じています。

一瞬の香りに包まれ、そのときに浮かぶ情景こそが、「永遠」なのです。

 

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2-2.茶道

私は12歳で茶道を習い始めました。子供心に、お茶とお菓子も楽しみでしたが、清らかな明るさを持つ茶室に、お湯が沸く音が流れ、香(インセンス)が漂ってくる・・・。その空間にいることをとても心地よく感じたものです。

茶室における人、花、光、釜の音、空間。時間さえも、「すべてが調和」して初めて芸術となります。

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例えば「茶道」が、乾いたのどを潤すだけであれば、それは芸術と評価されなかったでしょう。一服のお茶を点てて振る舞うことは、心の渇きを癒します。「懐石(かいせき)」と呼ばれる和食のコースはただ空腹を満たすだけではありません。もてなしにより、心をも温めるものなのです。

 

香水もただの消耗品であってはなりません。香水をまとうには、その時間と空間の中に美を感じ取る心が必要です。香りだけが強く主張するのではなく、「周囲との調和も考えて、全体の中で自分が美しいこと」こと。それが日本の美意識なのです。

 

 

 

 

 

2-3.日本の香りの歴史

西洋では長く「the abominable garment of the soul」(肉体は魂の忌まわしい衣服)、そして香水は肉体と切り離せないものと言われていたそうですが、逆に日本人にとっての「香」は、空間と心身の穢れを清めるものでした。

 

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香水の起源はヨーロッパにありますが、それは「液体化された肌につける香り」の歴史です。明治時代に日本が開国し、海外から香水が持ちこまれてからまだ150年あまり。香水の歴史は、ヨーロッパに及びません。

 

一方、日本には「香」という、「固形の香料を使った空間芳香」の歴史があります。

6世紀の日本への仏教伝来と共に始まった「香」の歴史は、やがて宮廷文化によって、洗練された遊びとなりました。

8世紀には「香染ko-zome」と呼ばれる、丁子(clove)や桂皮(cinnamon)で染めた絹織物もありました。それは美しい色のみならず、繊維から芳香を発するという、貴族のための贅沢な衣装になりました。体温で暖められた着物からは、動きに合わせて香りが漂ったそうです。

 

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11世紀には日本文学の古典「源氏物語」が書かれました。ここでは着物に香を焚き込める「薫衣香(くのえこう)」というシーンが象徴的に描かれています。これは香りによって、物語の背景や登場人物の心情まで語っています。

15世紀の武家の時代には、精神の高みに至る「香道」が成立していきました。さまざまな「道」とは精神練磨のために行うものです。それは結果的に教養と芸術性を高める日本独特の文化です。

さらに18世紀頃から、商人が力を持ったことから、香り文化が庶民に普及していきました。

 

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また現在でも、多くの日本の家には先祖を祀る仏壇があり、朝と晩に「線香」が焚かれています。私たちは子供のころから、部屋に流れるこの香りになじんできました。

直接アルコリックを肌につける「香水」とは異なりますが、このように別の形で香りの歴史が日本にも育っていたのです。

 

香道では、香りは「嗅ぐ」ではなく「聞く」と表現します。私たちは鼻で芳香分子を物理的にとらえるだけではなく、香りが語る物語を心で聞き、そして感じるのです。

香りの声、それは大声ではありません。そこに芳香成分があるから、よい香りなのではなく、美しいと感じる感性があるからこそ香るのです。

香木の歴史は1400年、香の歴史は1000年、香道の歴史は600年。日本においては宗教や文学、教養とともに「香」がありました。そして、物理的にはではなく、精神的に香りを受け止めてきたのです。

 

 

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2-4.和食と香り

日本の香り文化は「香木」や「香」だけではありません。自然では四季折々に訪れる香りを、食では海の物や山の物と、季節感溢れる旬の香りを楽しみます。

400年前に西洋に紹介された和食は、長くその真髄が評価されませんでした。しかしようやく、2013年にユネスコ無形文化遺産になりました。

 

認められた理由は、ただ「食材」においてではなく、その「和食をめぐる食文化」が評価されたからです。食の中に芸術があると認められたのです。

 

南北に長く、四季の移り変わりがはっきりとした日本。自然の美しさや季節の移ろいを楽しみつつ、年中行事を大切にして、食材や器にも細やかな心配りをしています。一見すると和食はシンプルですが、実は大変手間をかけて作られた料理です。

 

その繊細さや美意識が、食の世界でも海外に理解されてきたように、日本の香りも海外に理解され、広がっていくと私は思います。

 

 

3-1.香水砂漠

アンケートから見えること

日本で行った香水の調査ではこのようになっています。(マーシュ調べ)

 

 

 

 

 

・毎日香水をつけている人が8.4パーセント、毎日ではないがよくつける人が8.4%

・女性の4割、男性の6割が、香水をまったくつけないと言っています。

 

そのため、海外から日本は「香水砂漠」と揶揄(やゆ)されることもあります。

 

一方、柔軟剤やエアケア商品の需要は海外同様、日本でも拡大しています。

日本には、「香水は使わないが香りは好き。しかしそれは、アロマで使うエッセンシャルオイルとも違う」という女性が多くいます。彼女たちはスーパーマーケットで芳香剤や柔軟剤の香りを試すのに1時間を費やすとか、持ち歩いて時々嗅いでみたいとも言います。こういうユーザーたちは、新しい香水に次々と乗り替えるユーザーより多いようです。

これだけ香りを受け入れる土壌があるにもかかわらず、なぜ日本では「西洋の香水文化」が育ちにくいのでしょうか?

 

それは、香りをつける目的が、西洋と日本では異なるということです。つまり、今までの香水は、消費者へのアプローチの手法が違っているのです。

ひとつに、日本では、異性を意識して香水をつける人は少ないのです。

私たちが海外の香水の広告から受け取るのは、セクシーやファッションというメッセージ。それらをアピールする販売方法は、もともといる香水好きにはマッチするかもしれません。しかし日本人の多くが今も香りに求めるものは、異性を魅了しようすることよりも、自分自身が心地よくなりたいという満足感です。それはジェンダーレスな気がします。

 

ふたつ目に、日本人は香水にも周囲との調和を求めています。

欧米の香水は、時として強すぎると感じられ、敬遠されがちです。それは華道や茶道の項でも話した、「全体の配慮」や「調和」を乱すと考えるからです。

癒しや和み。それは季節を楽しむ心からきており、楽しむ心そのものに価値があるわけです。日本人は香りに、情緒を求めるのです。

 

 

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3つ目は気候についてです。

日本で販売されているほとんどの香水が、欧米で作られたもの。同じ香水を肌につけるのであっても、日本と欧米とでは香り方が全然違うことがあります。これには、特に湿度が大きく影響していると考えます。

 

日本では空気の壁がしっとりと身体を包んで、匂いを逃さないような感覚があります。ヨーロッパの香水を日本でつければ、ずっと強く、濃く感じるのは当然なのです。それらは、ヨーロッパのドライな気候で香り立つように作られているからです。 

 

日本人は香りで自己主張をするというよりも、調和を求めています。ところが「欧米向けの処方」の香水は、日本でより強く香ってしまう。「香水は苦手」という日本人が多いのは、それが要因です。

 

日本には、すでに芸術としての香水を受け止める土壌はあります。ただ、センシュアルでファッショナブルをアピールする「西洋の香水文化」は育ちにくいかもしれません。「日本の香水文化」を育むには、日本に合った香水と、つけ方が必要なのです。私が日本スタイルの香水を作っているは、そういうわけなのです。

 

 

「フランスからの質問」

この講演に先立って、日本でフランスのテレビ局の取材を受けました。そこでの質問は、ヨーロッパの皆さんの関心があるのではと思います。

 

Q.日本人は匂いにとても敏感で、強すぎる香水は好まれないと伺っています。日本でもっとも好まれる、男性と女性の香水は何でしょうか? 

 

A. 日本人にとって好きな香りは、特定の「香水や香料」というより、全体の香調として「ドライ感、抜け感、風通しのよいもの」が好まれています。

 

日本では、シンプルでトーンの軽い、季節を感じさせる香りも好まれています。シトラス・ノートは、特に好まれる香りのひとつです。日本は柑橘類の種類が豊富で、和食においてはユズ、カボス、スダチなどを微妙に使い分け、その香りの違いを細かく判断することができます。

また、幸せなときを思い出させるような香りもいいですね。マドレーヌの香りによって、幼い頃の記憶が突然呼び起こされたプルースト効果はあまりにも有名です。日本でも、例えば秋のキンモクセイの香りをかぐと、安心感に包まれた子供時代や、学生時代に花の下で告白した、恋愛のせつなさがよみがえるという人も多いです。

 

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そして香道で焚く沈香の香りは、暖かみのある、乾いた、スパイシーなウッディノートで、心を鎮める清浄な香りです。それは西洋でイメージされるOUDのアニマリックでセンシュアルな香りとは異なります。

香道では、まず火のついた小さな炭を香炉の灰に埋めます。その上に雲母(MIKA)の板を置いて、沈香の切片を乗せます。沈香は燃えることはありません。香木は間接的に温められることで、香気成分がマイルドに空中に放たれ、香炉の周りをふわふわと漂うのです。

これは、エタノールの力で四方へ拡散する香水とは全く異なる香り方です。まるで「障子ごしの柔らかい光のように、間接的ともいえる匂い立ち」を、自分の香水にも表現してみたいと私は思いました。

 

 

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3-4.日本スタイルの調香、そして世界

 

新しい香りというのは、未知の香料に求めるだけではなく、ありふれた香料を組み合わせることで作られます。日本に香りの資源があるとすれば、香料そのものにあるのではなく、文化を読み解くことにあります。物質の背後にある歴史や人々の生活、物語を読み取っていただきたいのです。

これからの香水はグローバルテイストではなく、ローカルであるべきです。標準化され、平均化された香りではなく、その国、その地域らしさ、作り手の顔がみえるような香りであるべきではないでしょうか。

Diversity & Inclusionの観点からみても、ニッチと言われた香水は、世界の価値観をより豊かにするでしょう。 そして、いろいろな人たちがさらに香りを楽しめるようになるに違いありません。

 

4.結論

西洋のアート(美術)には永続性が求められ、それは具象化されたものと聞いています。しかし、真の永続性は形のないものであり、そこにアート(芸術)があると日本人は考えます。

それゆえ[Fragrance is more than fashion accessory and worth a theoretical reflection. It becomes a paradigmatic form of the time.] (会議のテーマから引用/香りは単なるファッションアクセサリーではなく、理論的な考察に値するアート。それは時間の典型的な形になる)という西洋の新しい波に、私たちは共感します。

 

香りは人の内面に深く入り込むという点で、ほかの芸術よりも無限の可能性があると思います。もはや香水はたんなる消耗品ではなく、出会いの瞬間に過去の自分を超越する芸術なのです。

 

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※本稿は講演のための原文です。英訳においては、割愛、意訳をして30分に整えました。

 
 
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