
学会ホームページから趣旨をかいつまんでお話しすると、
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近代の西洋社会の大半で、「匂い」の感覚は香水はファッション、消耗品として扱われ、「芸術」とは捉えられて来なかった。
なぜならば、匂いは形がなくはかないもの。また香水は切り離せないほど身体と結びつくもので、イマヌエル・カント(Immanuel Kant)によれば「肉体は魂の忌まわしい衣服」と中傷もされてきた。
芸術、デザイン、化学が永続性を求める限り、嗅覚にまつわる作品は微妙な存在。
しかし近年は、香水を美術館でアートやデザインとして展示し考察する動きがでてきている。
したがって発展した美意識の観点では、カントにも中傷されたそれらの資質が、モダン、ポストモダンの時代に香水に与えられたすばらしい資質にほかならない。
これらの筋書きがそろった今、「香水への考察」は、それがアート、商業、デザイン、独自の美意識、自然科学と人文科学などと切り離せないほど絡み合った世界をつくることから、現代に新しい視点をもたらしている。
この複雑でダイナミックな関係性が今回の国際会議での焦点なのである。
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それを受けて、私は講演で次のようなことを述べています。

テーマでは、西洋のアート(美術)には永続性が求められ、それは具象化されたものであると語られています。しかし、真の永続性は形のないものであり、そこに芸術が存在すると日本人は考えます。
そもそも日本文化では、はかないものに価値を見出してきました。日本には香道をはじめ、「道(どう)」に昇華した芸術があります。それゆえ、無常である香りを芸術として受け止めるのは自然なことなのです。
一方で香水文化については、いまだ日本では根付いておりません。それは、ヨーロッパを祖とする香水の広告が、「ファッション」や「異性を意識したセンシュアル」な西洋的アプローチで繰り返されているからでしょう。
日本では「調和」が貴ばれます。そして人々は軽く、ほのかで、風通しのよい香り(香調)を好み、季節感や情緒を楽しみます。
そのため日本には、「日本の文化に合った日本の香水」が必要なのです。
そして和食が世界に広がったように、やがて日本スタイルの繊細な香水も海外に知られ、受け入れられていくに違いありません。。。