パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

京ろうそく なかむら 体験教室-1 kyoto③ Candle

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昨日の鬱陶(うっとう)しい雲が見事に晴れて、冴えた青空と冷たい空気の京都。
 
この日はあちこちに行きたくて、たくさん予定を入れてみたのだが、そのひとつがこの「京蝋燭(ろうそく)なかむら」さん。
 
以前から「和ろうそく」にはとても興味があって、待望の製造体験受講である。絵付けだけのコースもあるが、蝋(ろう)の流し込みからの工程をさせて頂けるのでとても楽しみ。
 
 
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予定は13時。午前中は慈照寺(じしょうじ)など東の方を歩き、思いのほか時間がかかってしまったのでお茶もお昼も抜きで直行する。
 
 
今出川(いまでがわ)駅から地下鉄に乗って、終点の竹田の駅から徒歩5分、静かな通りにそこはあった。ガラガラっと引き戸を開けると、中はろうそくを実際に作っている工房。一歩入ると、暖かく粘り気のある、懐かしい蝋の匂いがいっぱいに満ちている。
 
ワークショップ的な会場を想像してきたので、現場を拝見できるとはびっくり。入り口は所狭しと商品の箱が積みあがっていて、物が動いている活気でいっぱいだ。
 
 
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最初の30分程は、和ろうそくについてのレクチャー。非常に興味深い。
社長自らが、和ろうそくの素晴らしさ、その継承の難しさと意義などを熱く語る。
 
ぼんやりと断片的だった知識が、直接お話を伺がうことで少しずつ明瞭(めいりょう)になり、とても勉強になる。知らないことがわかっていくというのは、いつも心の弾(はず)むことである。以下はその時にとったメモと、後日調べたことを参考に、自分の整理のために書いてみた。
 
 
 
 
和ろうそくの原料は、櫨(はぜ)の実から絞って採られた植物性の木蝋(ろう)である。ハゼは安土桃山時代に大陸から渡来し、江戸中期には沖縄を経由して九州でさかんに栽培された。島原藩でも奨励され、一大生産地となったが、1991年に雲仙普賢岳(うんぜんふげんたけ)の噴火により産地は壊滅的被害を受け、原料の流通量が激減。また、安価なパラフィンワックスの西洋キャンドルに押されて、和ろうそくは厳しい状況にある。
 
 
しかし、安価で火力もある西洋キャンドルがあるのなら、なぜ和ろうそくが必要なのであろう。
 
ひとつは、和ろうそくは煤(すす)が少なく、油分も少ないので払うだけできれいになる。寺社仏閣の「すす払い」が洗剤を使わずに、毛ばたきなどではたくだけで落ちるのも、植物性の和ろうそくを使っているからできること。
 
木ろうは融点が低い。垂れたロウはお湯で容易に拭き取れるため、漆(うるし)や箔(はく)の細工ものなど、大切な装飾を傷めることもない。
 
よって修復の頻度(ひんど)も減る。和ろうそくを使うことで文化財を守ることができるのだ。そのため京都のおおくの由緒あるお寺には、こちらの和ろうそくが使われているそうである。
 
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そして和ろうそくの特徴に、その炎のゆらぎと色の暖かさがある。火力が弱いため、筒状の紙にイグサを巻いて芯を太くし、消えにくくしている。芯は中空になっているので、煙突のように空気が上がってきて、風がなくても火がまたたくのだ。ながめているだけで心がなごむ。
 
石油系パラフィンのキャンドルは火力があり明るく強く、直截的(ちょくさいてき)である。平たく言えば風情(ふぜい)がない。油分の多い煤(すす)も出て、払うだけでは容易にきれいにならない。
 
 
 
例えば日本画は、和ろうそくの灯りで鑑賞しなければ、作者の意図するところを見ることはできないという。また座敷の欄間(らんま)に立体的な彫刻が施されているのは、蝋燭の揺らぎで「影」が動くことも考えてあるからで、西洋のステンドグラスが平面的で、「光」を通して鑑賞するのと対照的である。
 
京都の舞妓(まいこ)さんたちが白塗りの化粧に玉虫色の紅をさすのも、和ろうそくの光でこそ最も美しく映える色だから。
 
日本の美、つまり和室、仏像、日本画の色、漆(うるし)塗りや歌舞伎の隈取(くまどり)などといったもののすべては、和ろうそくという「灯り」ありきで考えられているようだ。
 
それは谷崎潤一郎の「陰翳礼賛(いんえいらいさん)」のなかにも語られている。
「美というものは常に生活の実際から発達するもの」というくだり。
 
長い庇(ひさし)を持つ日本建築が、結果、うす暗い部屋を持たざるを得ず、その中に陰翳の美を発展させたという。
 
 
ひとつの文化を単独で残そうとしても無理があり、そのおおもとを考えなければ伝統は守れないと思う。
 
 
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茶道や日舞など、和の文化にも触れて育ち、長じて歴史・時代小説なども愛読してきたため、和ろうそくの存在をその情景の一部として、自分なりにぼんやり感じてきた。
 
「なぜ和ろうそくであったのか」「どうして、それでなければならないのか」ということが、たくさんのお話を伺って少し理解できたように思う。
 
 
 
特に心に残っているのは、社長さんがいった、「和ろうそくは伝統工芸品ではなくて、消耗品である」ということばだ。
 
伝統工芸という看板だけで仕事をしている人もいるが、生活の中で活きていくものこそが、本当の伝統になっていくのではないかと思う。
 
 
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お話が終わり、「では、実際に和ろうそくをつくってみましょう」とうながされ、「あの、中はお写真を撮っていいのでしょうか?」とおずおず聞くと、「どうぞどうぞ」とおっしゃる。「うちはどこを見てもらっても平気です。」とも。
 
秘密や秘伝などではなく、まっとうなことをきちんとする。培(つちか)ってきた信用や、人とのつながり。それらを続けるのはとても難しいことだからこそ、見ただけで簡単にまねできるはずがない。
 
だから、隠すことなどないと自信をもっていえるのだと思う。
 
 
 
次回、実際の製造体験に続く。
 
 
 
 
 
京蝋燭 なかむら 有限会社 中村ローソク
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