この記事は12月9日に書きかけたまま、師走の慌しさにそのままになっていた。歳月が飛ぶように過ぎていく。
シーズンを過ぎたのか、幸い人はまばら。入場券も待たずに買う。どんどんと塀内を進んでは曲がり、中の門を入ると「銀閣」が眼前にあった。
とりあえず、「うわ!」と訳の分からない感嘆符が心の中に湧く。
ウン十年ぶりの銀閣は、記憶の姿と違(たが)わない。あるいは、映像や画像で記憶が上書きされフレッシュになっているのかもしれない。
白い砂利を敷き詰めた「銀沙灘(ぎんしゃだん)」をまわりつつ、左には東求堂あり。池の対岸からは再び、枝ぶりの良い松を透かして銀閣その姿を見る。
ああ感慨(かんがい)に浸る間もなく、、、振り返り振り返り、先へ先へと惜しみつつ通り過ぎる。。
『薄い、、、薄いわあ。。。』
本当に時間がなくって、感じるものが薄すぎる。
たとえ勉強不足でも、時間さえあれば知識ではなく感じとれるものがあろうが。こうやって慌ただしく来るのであれば、やはりもっと予習をしてくるべき・・・と残念に思う。
やはり京都の苔は違う。行儀がよい。よく躾(しつ)けられている。
苔ファンの私としては、ぜひじっくり見たい植物。なぜなら、私の誕生花は「苔」なのである。
慈照寺の奥にある山に登ってみる。ここをパスするかどうするか、悩みつつも『えーい、この際』と急いで登る。小さい山なのに急勾配(きゅうこうばい)で、息が上がるのは日ごろの運動不足のせい。
本当は美しい景色をゆっくり眺めながら登りたかったのだが、あくせくしては味わうことができない。やはり名所を訪れるときは余裕を持って出るべきと痛感する。
小高い展望のところでは、銀閣とその向こうに京都の町が見渡せる。高みの見物というが、こういうところから見るとどこか他人事のような市井(しせい)の暮らし。ときに権力者も、ここから眺めてたのだろうか。
そういえば、数年前のNHKの番組で銀閣寺を検証していたのを思い出した。たしか、銀閣は月見の館とも言われ、庭の向こうの月待山から登る中秋の名月を、初めは銀閣の一階の窓から見て、やがて庇(ひさし)に隠れると、ニ階に上り池に写った月を眺めるという。
そうか、これが月待山か。
京都では歴史の粋といったすばらしい建築物や町並みを見て、あらためてその「美」や「技」などに感じ入るのであるが、同時にその建物の背後にあった権力闘争や欲望などに思い至ると、胸がふさがれる思いがする。
良くも悪くも、それが知識というもの。。。
これは、パリでノートルダム寺院の前を通りかかった、2年ほど前にも感じたことである。
➤2015年パリの教会より
「いつ見ても、どこから撮っても美しいのがノートルダム寺院だ。
しかし、装飾といい大きさといい、偉業には間違いないが、その歴史の中で刻まれたであろう権力の陰惨な営みを思うにつれ、若い頃のように素直に感動できないのが哀しいことである。」
銀閣寺内にあるこちらも国宝、東求堂(とうぐどう)。
主人公は新九郎(北条早雲)であるが、例えば時の将軍足利義政(よしまさ)、その弟、足利義視(よしみ)や日野富子など、、、教科書的に知っていた人物が、小説という中では立体として浮かび上がってくるから面白い。
それが、風景を見ることで血肉が通い、さらに再び歴史を読み返し、時代を行きつ戻りつ「ああ、なるほど」とようやく腑に落ちるのがスローな私流なのであった。
今回は「のんびり散策」といかず強行軍になってしまったが、それでも、やっぱり来てよかったと思う。位置関係と距離感はつかんだ。
もう、約束の時間まであと30分くらいしかない。門前の坂を転がるように降りてタクシーをつかまえ、
「すいません、竹田に行きたいのですが、一番早く行ける駅へお願いします!」
「・・・・」
あれ?返事がない・・・。と思ったら、かなりご高齢の運転手さん。なんでも右耳に補聴器をつけてるそう。乗車中ずっと、後部座席から前に乗り出して会話することに。。。。国産車だから左耳に着けたほうがいいのに。