パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

筍(タケノコ)ご飯、bamboo shoot

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アトリエのMさんが、
「先生、近くのデパートに小さな筍(たけのこ)が売っていますよ、1回分のたけのこご飯を炊くのににちょうどいいサイズです」
 
そんなことを聞いて、私も本当に久しぶりにたけのこご飯を作ってみる気になった。
 
 
 
本当に、15センチくらいのかわいい筍だ。
昔のことだが、まいとし春先になると家に届いていたのは、もっと太くて大きくて、ふた回りは大きかったと思う。
 
そうそう、こんな風に皮には毛がはえているんだっけ。
ちょこっと粘土っぽい泥もついていて、ほのぼのしてるなあ。
 
 
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灰汁(あく)抜き用の糠(ヌカ)までセットになっている。
 
米糠(ぬか)なんて、イマドキあまり家では用意していないから、とても便利だ。
 
何かをいざ作ろうとすると、あれが足りないコレが足りない、なんてことがままある。
筍は、「なんとなく面倒くさそう」というハードルがあるので、ここまで至れりつくせりにしてもらわないと、買うふんぎりがつかない。
 
 
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さて、そんなわけで久しぶりにタケノコご飯を炊くことにした。
しかし最後に筍をゆでてから、はや20年は経っている。
 
「どんなだったかな?」と記憶の糸をたぐり寄せようと思ったが、それよりはまずはネットで茹で方のレシピを検索してみた。
 
ずらーっと出てきて、今は本当に便利だなあ。
 
 
しかし作り方をよく読んだら、2時間は茹でないといけないと書いてある。
『え、今から茹で始めたら深夜になってしまう?』
 
そうだったっけ?
じゃあ、今夜は食べられないジャン!
この晩の献立計画は崩れた。
 
 
何はともあれ、固い筍の先を斜めに切り落とし、皮に縦に切れ目をいれ、ヌカを入れた鍋でグラグラと茹でる。
時々、蒸発した分の水を足しながらなので、案外目が離せない。
 
 
煮えてくるにつれ、やわらかく粉っぽい、白い木の香りのような甘い香りがキッチン全体に広がる。
遠い昔、台所で筍を茹でている母親のそばにまとわりつきながら見ていたことを思いだすなあ。
 
母はめんどくさがり屋ではあったが、年に一度は筍ご飯を作ってくれたものである。
 
そのころの家庭では、春には筍ご飯を、初夏に豆ご飯、秋は松茸と、季節ごとに混ぜご飯を炊くのが当たり前の行事だったのだ。
 
今になって、ふっくらと心を豊かにしているものが、そんなところから始まっているのだと気がつく。
家庭の環境は、緩効性の(かんこうせい・ゆっくりと効き目のある)肥料のようなものだ。
 
 
小さい頃の思い出がなかったら、年を取ってから作る気になんかならなかっただろう。
子供の頃に家庭で学ぶことはとても多い。
 
学校で習うようなすぐに役に立つこととは違う。
ましてや、週に一回のお稽古だけでは、どの程度の情操教育ができるのかな、と思う。
 
 
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自分で作ったのは、大人になってから2-3回だろうか。
 
母もだんだんと年をとるにつれ、これらの作業がおっくうになり、筍(たけのこ)は家でなくて外で食べるものになってしまった。
 
 
結局この日は火をとめて、冷めてから鍋のまま冷蔵庫に保管。
毎晩忙しく、結局筍ご飯を炊けたのは3日後になってしまった。
 
これじゃあ、筍の水煮を買ってもおんなじ?
そんな風に思ったけれども・・・。
 
ご飯と一緒に炊き始めると、再びあの甘い香りが湯気と共に立ち上ってくる。
やー、これこそ本物の筍ご飯!!
 
ひとくちほおばれば、ふわっと広がる春のにおい。
 
これを食べると、お弁当で買った筍(たけのこ)ご飯なんて、紙っぺらのように香りがない。
 
 
 
十分に灰汁抜きしたつもりだったけれど、ほのかにいがらっぽいような味がある。
そうそう、以前に作った時も、少しあくが残ったりしてたっけ。
 
 
今日は、木の芽がないので、シソを変わりに千切りにして乗せる。
急いだからちょっと太いなー。((-_-;))
 
そしておでんを取り合わせた、至福の献立。
 
 
濃い口のおしょうゆで色は濃くなってしまったけど、お味はそれほど辛くなく、おこげもできて最高に美味しかった。
 
 
 
この染付けのお茶碗は、一閑人(いっかんじん)と云って、子供(唐子)が覗き込むようなデザインになっている。
 
 
 

 

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