2月3日は節分。
かなり昔になるが1月の終わり、あるところで食事をしながら「もうすぐ節分ですね」という話になった。
私はそのとき節分は年によって違うと思っていたので、
「今年は節分は何日でしたかしら?」
というと、冗談で言っていると思われて大いに受けた。
やがて私が大まじめに言っていると皆にわかり、
「ナニ言ってるんですか、節分は2月3日に決まってるでしょう」
とまた笑われた。
『あれ?2月4日のときもあったように思ったのだけど・・・』
恥ずかしさに照れ笑いなどしてその場を取り繕ったのである。
先日、教育テレビを斜めに見ていたら、今年の節分は2月3日というようなことを言っている。
「今年の節分は」??ということは、違う年もあるのか?と画面に注目。
「今年の節分は」??ということは、違う年もあるのか?と画面に注目。
よく聞いていると、天体の運行によって決まるので、日付が異なる(ずれる)というような説明だ。
1984年までは、うるう年の節分は2月4日であった!
1984年までは、うるう年の節分は2月4日であった!
ほーら、やっぱり。
子供の頃は節分が2月4日だったこともあるから、ぼんやりとそんな風に思っていたのだと思う。
最近では歳時記は流れていく一日になってしまったから、関心も薄れ自信が持てなかったのだけれど。
今では生活スタイルが変わり、忙しさにまぎれて行事もおざなりになりがちだ。
子供の頃は毎年ちゃんと豆まきをしたものである。
夕方、家の玄関から窓、勝手口まですべての出入り口に向かって順番に豆を撒く。
「出て行った鬼が入ってこないように、扉は少しだけ開けてすぐに閉めるのよ」
と母が言ったような記憶があるが、それが本当かどうかは知らない。
兄弟で競って撒くと、あとの片づけが大変だ。
そして、美味しくもないと思いながら、年の数だけ豆を食べた。
遠くガラガラと戸を開ける音で、お隣でも豆まきをしている気配がしたものである。
暦(こよみ)の中に記された「節分」の文字は、ただの知識では理解できない。
幼い頃の体験が、情緒を作り、気風を作り、文化を育んでいく。
幼い頃の体験が、情緒を作り、気風を作り、文化を育んでいく。
大切な、ごく普通の日本のくらしの源がある、そう思う今日。