パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

節分(せつぶん) Setsubun

150203節分.jpg

 
2月3日は節分。
 
かなり昔になるが1月の終わり、あるところで食事をしながら「もうすぐ節分ですね」という話になった。
 
私はそのとき節分は年によって違うと思っていたので、
「今年は節分は何日でしたかしら?」
というと、冗談で言っていると思われて大いに受けた。
 
やがて私が大まじめに言っていると皆にわかり、
「ナニ言ってるんですか、節分は2月3日に決まってるでしょう」
とまた笑われた。
 
『あれ?2月4日のときもあったように思ったのだけど・・・』
恥ずかしさに照れ笑いなどしてその場を取り繕ったのである。
 
 
先日、教育テレビを斜めに見ていたら、今年の節分は2月3日というようなことを言っている。
「今年の節分は」??ということは、違う年もあるのか?と画面に注目。
 
よく聞いていると、天体の運行によって決まるので、日付が異なる(ずれる)というような説明だ。
1984年までは、うるう年の節分は2月4日であった!
 
ほーら、やっぱり。
子供の頃は節分が2月4日だったこともあるから、ぼんやりとそんな風に思っていたのだと思う。
 
最近では歳時記は流れていく一日になってしまったから、関心も薄れ自信が持てなかったのだけれど。

 
 
今では生活スタイルが変わり、忙しさにまぎれて行事もおざなりになりがちだ。
 
 
子供の頃は毎年ちゃんと豆まきをしたものである。
 
夕方、家の玄関から窓、勝手口まですべての出入り口に向かって順番に豆を撒く。
「出て行った鬼が入ってこないように、扉は少しだけ開けてすぐに閉めるのよ」
と母が言ったような記憶があるが、それが本当かどうかは知らない。
 
兄弟で競って撒くと、あとの片づけが大変だ。
そして、美味しくもないと思いながら、年の数だけ豆を食べた。
 
遠くガラガラと戸を開ける音で、お隣でも豆まきをしている気配がしたものである。
 
 
暦(こよみ)の中に記された「節分」の文字は、ただの知識では理解できない。
幼い頃の体験が、情緒を作り、気風を作り、文化を育んでいく。
 
大切な、ごく普通の日本のくらしの源がある、そう思う今日。
 
 
 
 

 

Copyright © PARFUM SATORI All Rights Reserved.