パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

秘すれば花なり  藍亭

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藍亭(らんてい)である。

 

 

築地の時代から父が好んだこの和食の老舗は、千代田区一番町を経て、今は紀尾井町のホテルの中にある。寒の戻りが来る前、春の気配にその日はぶらぶら歩いて出かけていった。

料理長やお店の方もみな穏やかで、控え目な応対がリラックスさせてくれる。清潔なカウンターに座ると、正面には世阿弥の「風姿花伝」の書がかかっている。いつも、季節の花がさりげなく活けてあり、心がなごむ。

木の芽、山のもの、旬の魚介など、よく吟味された季節感のある献立。椀物は、封じ込まれた香りを楽しみに蓋をあける。お行儀が悪いが、つい、近づいて匂いをかいでしまう。

日本は本当に贅沢な食文化を持っていると思う。それは、金額の多寡ではない。ひとつの素材や四季をとことん慈しむ心から始まって、器や空間を埋めていく。

さて、食事を堪能した後、化粧室を借りる。いつも、お香がひかえめに香っていて好ましいと思っていたが、その日、口紅を直そうとティッシュで押さえ、捨てようと思った瞬間、あれっ?と思った。思わずもう一度匂いをかいでしまう。薄い紙は、ほんのりグレープフルーツのような香りがした。
無粋とは思ったが、帰り際に板前さんに聞くと、「はい、そうです」とにこっと笑って答えてくれた。

なんでもないことのように、すみずみにまで至るちょっとした配慮を、ここでは今だに発見することがある。これを明かしてしまう私は「秘せずば花なるべからず」である。


ひとつ、お願い。和食の、ことにカウンター席での香水は顰蹙(ひんしゅく)をかうので、ぜひご注意頂きたい。以前、お寿司屋さんで隣の女性が強い香りをさせていたので、こういうマナーの悪さが香水嫌いを増やすのだと、香りを作るものとして腹がたった。

風姿花伝 -世阿弥-
秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。この分け目を知ること、肝要の花なり。そもそも、一切の事(じ)、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用(たいよう)あるがゆゑなり。しかれば、秘事といふことをあらはせば、させることにてもなきものなり。これを、「させることにてもなし」と言ふ人は、いまだ秘事といふことの大用を知らぬがゆゑなり。まづ、この花の口伝(くでん)におきても、「ただめづらしきが花ぞ」と皆知るならば、「さてはめづらしきことあるべし」と思ひまうけたらむ見物衆の前にては、たとひめづらしきことをするとも、見手(みて)の心にめづらしき感はあるべからず。見る人のため花ぞとも知らでこそ、為手(して)の花にはなるべけれ。されば、見る人は、ただ思ひのほかにおもしろき上手とばかり見て、これは花ぞとも知らぬが、為手の花なり。さるほどに、人の心に思ひも寄らぬ感を催す手だて、これ花なり。

 

 

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