花は語り合うように
花を活けることは難しく考えることはなくて、どんなふうにいれたらきれいかな?とおもいながら、ただ長さを切って向きを決めているだけ。
花は生き物なので、毎日その姿を変えていく。
たとえばユリのように下から順に咲いていく花は、枯れた花をとると全体のバランスが変わるから、
また、短く切り詰めて向きを変えて、を繰り返す。
花器に対して、「本当はもう少し短い方がバランスがいいかな」と思っても、あとで切っていくことを考えて長めに活ける。花が短くなりすぎたら、こんどは背の低い花器に変える。
アトリエは行ける場所が5か所あるので、日々それを組み合わせなおして、できるだけ最後まで活けきってあげられるととても満足する。
生花は水を替えたり水揚げをしたり手がかかる。だから、いい。いつか枯れてしまう。それゆえ、大事に慈しむ。 忙しいと、花に手が掛けられずに傷んだままになって、心の荒みが表にあらわれてしまう。
花と調和する空間
器だけで主張する花器は、花との取り合わせが難しい。花を入れた時全体として美しく見えるよう、両方が引き立つものでなければいけない。
また、その活ける部屋に対して、花だけが目立ってもいけない。そこにいる人のたたずまいや家屋、生活環境も含めて全体の調和がとれていなければ、息苦しいものである。
庭の花と違い、部屋の中で花は器がなければ長くは生きらない。
花と花器は、香水がボトルを必要とするのに似ている。また、花の活け方は、香水の選び方や付け方に共通するような気がする。
花が場所を選び、香水が、人を選ぶのかもしれない。