美しい音に酔いしれて、中休憩へ。
シャンパンを手に、「よかった~!感動した~」とツレのL子ちゃんときゃっきゃ言ってしまう。
(写真はそのL子ちゃんに撮ってもらったもの。)
9月に入って短い間に2か所のコンサートに出かけた。
どんなに忙しくても、やはり心の栄養を忘れては空っぽになってしまう。
熱中症対策に飲む点滴が流行りだが、音楽は弱った精神には本当に「聴く点滴」と言える。
この日はジェラール・プーレ氏と中澤きみ子さんのデュオ・コンサート。
会場の白寿ホールは、300席くらいでこじんまりとしているが、
室内楽を聴くのにはちょうどよい大きさかと。
席もほぼ中央で、大変きれいに音が聴こえた。
第一音目から、透明感のある音色がのびのびと広がり、思わず「はっ」と胸を打たれる。
それから次々と訪れる音の波。
エキゾチックな旋律、大胆な音、やさしく奏でる場面、哀しい調べ・・・。
曲調に合わせていくつもの情景が目の前に浮かんでは消えていく・・・。
座り心地のよいシートにすっぽりと収まりながら、浸りきってしまった。
ここは、妨げるものなく集中して音楽に入り込める環境だ。
この日の演目は大変難しい曲ばかりを選らんだそうである。
確かに、よく耳にする内容ではなかったけれど、様々なテクニックも見られて
そういう意味でも大変楽しむことができた。
バーチャルが進化して、何かリアルな複製ばかりを見ていると、想像力がどんどん退化してしまうと思う。
目には見えない音楽、文学、そして香り・・・。
そこから頭の中に自分自身のイメージを創りあげていく、その無意識の作業に、その人らしさや、読解力、どんな生き方をしてきたかが顕れるのだと思う。
小説を読んだ時、ヒロインの顔や姿は、私の生きてきた経験の中から一つの形に浮き上がってくる。
それは、映画とはまた違った楽しみだ。
ある芸術から生まれるイメージは、決していつも映像とは限らない。
音楽を聴いて香りを感じ、香りをみながら物語を想像し、絵画の中から曲が流れてくる。
人間は、自分自身の中にある翻訳器、または変換器によって、
異なる芸術のあいだを旅することができるのである。
この日の演目
バルトーク/44のデュオより
プロコフィエフ/2つのヴァイオリンのためのソナタ ハ長調 作品56
ショスタコーヴィッチ/5つの商品
シュトラウス・2つのヴァイオリンとピアノのための小品集「こうもり」より
出演 ジェラール・プーレ/中澤きみ子(ヴァイオリン)
川島余里(ピアノ)
2010/9/7 Hakuju Hall(白寿ホール)
パルファンサトリのユーチューブ
アンティーク香水collection