パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

冬至 2018年 touji(solar term)

 
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今日は昼の時間が一番短い「冬至(とうじ)」。
 
子供の頃、母がよく「冬至を境(さかい)に畳(たたみ)の目一つ分づつ陽脚(ひあし)が伸びる」という言葉を使っていたのを覚えている。
 
だがながくその意味を正しく理解していなかった。
 
 
夏至(げし)を過ぎると正午(しょうご)の太陽の位置は空の低い軌道を通るようになる。そして秋になるにつれ、毎日すこしづつ午後の日差しは部屋の奥へ奥へと入って来る。
 
冬休みの晴れた日には、庇(ひさし)の下からやわらかい光が座敷の中へ深く伸びて、その日差しと部屋の影の境目がまぶしく感じられたものである。
 
そんな光景が心に残っていたせいか、この言葉の意味を長いこと「その境目が、畳のひと目ずつ伸びていくこと」と、思っていたのである。
 
しかし冬至をすぎたら太陽は高い軌道を通り、結果、日光の入る位置は深く伸びるんじゃなくて、浅く短くなっていくはず。
 
言葉の本当の意味は「ちょっとずつ陽が長くなっていく」その「ちょっと」を、「畳一目くらいちょっと」と表現したものなのだろうか。毎度そんなことをぼんやり思いながら、暦(こよみ)が巡っていくのだった。
 
 
 
 
 
今日、冬至の話を幼馴染と話していたら、「伊勢神宮の大鳥居は、冬至の日に真っ直ぐど真中に日の出が見れる」ということを教えてもらい、ウェブを開いてみた。写真でさえ、光が心の中まで射すようだ。
 
 
冬至は「陰気が極まって、陽気が帰ってくる」との意味から「一陽来復(いっちょうらいふく)」ともいう。
 
今日が最も昼が短い日とはいえ、「夜明け」はまだ半月ほどの間、少しづつ遅くなっていく。
しかし「日暮」は半月ほど前から、もう遅くなり始めている。
 
1か月のせめぎあいの中、陰から陽に転換する、その瞬間よりも前に「福」の兆し(きざし)は始まっているのであり、それが表にあらわれてくるのはもうすこし後になる。
 
毎年のことだけれども、ずっとずっと「春」を待っているときは、よりそんな風に思いたいのである。
 
 
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