パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

お蚕(かいこ)さん②飼育

  1202016新幹線.jpg

カイコの飼育実習。


小学校では理科の授業で、中学では生物の実習だった。
高校の時もやったような気がする。(※これは後日、同級生からやったことがないと言われたので記憶違いかもしれない。)


家に持ち帰ると嫌がられるからと、ロッカーで飼っていた子もいた。

 

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全員、一人五匹くらいのカイコの一令幼虫(いちれいようちゅう)を家に持って帰る。
まだ数ミリの大きさの蚕は「ケゴ」といって、黒くて毛が生えている。

ボール紙の箱に、学校から取ってきた桑の葉を敷きつめて、カイコを入れる。

桑の葉を食べて数日するとじっと動かなくなり、やがて脱皮する。


一度目の脱皮で、毛はほぼなくなって白いカイコになる。
じっと見ると、愛嬌のある顔は新幹線のように見えた。

新幹線は「夢の超特急」と呼ばれて、絵本にもなっていたのでさらに親しみがわく。
今では信じられないが、子供とはそういうものだ。

 

だんだん大きくなるにつれて、たくさんの桑の葉を食べるようになる。

カイコは桑の葉しか食べないので確保が大変だ。

 

学校までは電車を乗り継いで1時間の道のりだから、万が一日曜日に桑の葉がなくなるとカイコは飢えてしまう。

しかし、たくさん採りすぎても桑の葉は萎れてしまうから、どう調達していたのかなあ・・・。

おカイコさんは野生のカイコと違ってとても弱く、病気になりやすい。水がついてもよくない。

 

4回の脱皮を繰り返して終令(しゅうれい)になる。
このころは桑の葉をもりもり食べる。
静かな部屋だと、サクサクと音がする。

 

実家で養蚕をやっていた方いわく、たくさんのカイコが一斉に食べるとサーサーと夕立のような音がするそうだ。
桑畑の広がる田園と、日本の静かな情景が目に浮かぶ。


やがてカイコは背中をそらせくるくるとまわりに糸を張りはじめるので、このときに繭(まゆ)を作りやすいようにボール紙で壁を作ってあげる。

一応これで終わりで、繭を学校に持って行った気もするし、蛾になったのを見たような気もする。

 

したことはないが、この繭を煮ると糸がほどけて絹糸ができる。
カイコが紡いだのだから当然だが、一つの繭は一本の糸でつながっている。
それがとっても不思議な気がした。

120217絹糸.jpg

この絹糸を3本、6本と合わせ、縒(よ)りをかけるとねじれて、太さが出る。
それでもとても細い。写真は3本よりくらいかな。
これをさらに何本か合わせるともう少ししっかりした絹糸になる。

この細い糸で機(はた)を織れば、羽二重などの美しい反物になる。
まるで赤ちゃんの肌のような、光沢があって柔らかい絹織物。

荒れてガサガサの手ではすぐに糸が攣(つ)れてしまう。

 

きっと水仕事などしたことのないような、しろいなめらかな手を持つ高貴な人の衣装となったのだろう。

 

女工哀史など悲しい物語もあるが、かつて絹は我が国の重要な産業で、日本のシルクは海外ではとても評価が高い。

日本の経済を支えてきたため、「カイコ」も「さん」づけでお蚕さん(様とも)と呼んだものだ。
今ではコストの安い外国製品に押されたり化繊に変わられてほとんど国産シルクはないけれど、御殿ではまだ皇后さまがお育てでおわすらしい。

 

 

小さい頃、叔母が阿佐ヶ谷に住んでいて、バスに乗って遊びに行くと、青梅街道沿いに蚕糸試験場(さんししけんじょう、今はさんしの森公園)というバス停と、電電公社(今のNTT)という停留所があった。どうでもいいけど時代を感じるな~。

 

カイコの写真は載せる気にならないので、新幹線を載せてみた。
でも昔の新幹線のフェイスのほうがカイコ的。

 

あすは真綿についてかいてみよう・・・。つづく

 

 

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