パルファン サトリの香り紀行

調香師大沢さとりが写真でつづる photo essay

直木賞作家 藤原伊織さん 2

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10年以上前(1998年ころ)、直木賞をとられた藤原伊織さんと、縁があって何度かお目にかかることがあった。
 
 
 
なにしろ当時の「直木賞作家」である。第41回江戸川乱歩賞とのダブル受賞『テロリストのパラソル』(1996年) 。そのタイトルを聞くだけでも胸がときめいた。
 
子供の頃、なりたいものはいろいろあったけれど、小説家にもなりたかった。というより、直木賞にあこがれていた。小説なんかまともに書いたことがないのに恥ずかしい限りだが、言うのは勝手だ。
 
 
 
 
 
小説のニヒリズムの印象とは違い、藤原さんご本人は気さくで優しい方だった。「本名が利一(としかず)で、マージャンが好きなので『リーチ』ともいうんですよ」と冗談を言っておられた。
 
今はもうない、原宿の千疋屋パーラーで会った時、私が「少女時代、直木賞が取りたかった」
 
というと
 
「賞なんかとろうと思っても取れるものじゃない。書きたいものを書いて、結果はあとからついてくる」
 
「本屋に行けばこんなにたくさんの本があって、その中でお客さんの手に取ってもらえて、買ってもらえる小説家になるためには、途中で諦めていった作家の、累々たる屍(しかばね)を越えていかなければならない」
 
などと笑って話されていたことが印象に残っている。
 
 
 
それからしばらくして、ちょうど電通を辞められた2002年頃だと思う。私があるインターネットサイトに3話掲載のコラムを書いたときも
 
「あなたは小説よりエッセイを書いた方がいいね」
 
などと、ほめられたのかけなされたのかよくわからないけれど、読んでいただいてうれしかった。ブログの一番最初に載せてある、休日のフレグランス、ベッドフレグランス、バスフレグランスのフレグランスシリーズ3話である。
 
 
 
 
 
 
文芸春秋社のパーティーが毎年12月にある。菊池寛賞の贈呈式のあとの宴会で、伊織さんとばったり会った。久しぶりにお話しして、その後、忙しさにまぎれしばらくお目にかかれず、またそれからどのくらいたっただろう。
 
数年後、同じ文春のパーティーで、そういえば来ておられるかなと思い、携帯に電話したがつながらない。引っ越しされたと聞いていたし、もうこの番号を使っていないのかと残念に思った。
 
帰ってインターネットで検索してみると、「藤原伊織」(1948ー2007)と書いてある。思わず目を疑った。
 
なんと2年前の5月に亡くなられていたのであった。2005年には自らの癌を公表していたそうだ。本当にがっかりした。知らなかったなんて、不覚。
 

 

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