子供の頃、なりたいものはいろいろあったけれど、小説家にもなりたかった。というより、直木賞にあこがれていた。小説なんかまともに書いたことがないのに恥ずかしい限りだが、言うのは勝手だ。
小説のニヒリズムの印象とは違い、藤原さんご本人は気さくで優しい方だった。「本名が利一(としかず)で、マージャンが好きなので『リーチ』ともいうんですよ」と冗談を言っておられた。
というと
「賞なんかとろうと思っても取れるものじゃない。書きたいものを書いて、結果はあとからついてくる」
「本屋に行けばこんなにたくさんの本があって、その中でお客さんの手に取ってもらえて、買ってもらえる小説家になるためには、途中で諦めていった作家の、累々たる屍(しかばね)を越えていかなければならない」
などと笑って話されていたことが印象に残っている。
「あなたは小説よりエッセイを書いた方がいいね」
などと、ほめられたのかけなされたのかよくわからないけれど、読んでいただいてうれしかった。ブログの一番最初に載せてある、休日のフレグランス、ベッドフレグランス、バスフレグランスのフレグランスシリーズ3話である。
数年後、同じ文春のパーティーで、そういえば来ておられるかなと思い、携帯に電話したがつながらない。引っ越しされたと聞いていたし、もうこの番号を使っていないのかと残念に思った。
帰ってインターネットで検索してみると、「藤原伊織」(1948ー2007)と書いてある。思わず目を疑った。
なんと2年前の5月に亡くなられていたのであった。2005年には自らの癌を公表していたそうだ。本当にがっかりした。知らなかったなんて、不覚。