おととい書いた、「私の読書ノオト」に、有名なイプセンの戯曲「人形の家」が載っていた。
広田三枝子の「人形の家」という歌がヒットしたのは小学生のころ。
初め、本屋でタイトルを目にしたその時は
「ほこりにまみれた人形みたいに捨てられる女の話」
なんじゃないかと、確かに思っていた。
「ノラは弁護士の妻である。猫っ可愛がりされ、平和に暮らしていたが、ある日、彼女が昔犯した罪を夫に知られてしまう。それは夫のためにしたことに起因するが、夫は妻を罵る。事件が都合よく解決した時、夫はまたノラを昔のように可愛がろうとしたが、夫の身勝手さの下で人形のように生きるより、人間として生きたいとノラは思い、今までの生活を捨て家を出る。」
当時の読書ノオトには、感想は書いていなくて、あらすじだけをそんな風に書いている。
はたして、高校生にこの小説の意味がどこまでわかったのであろうか?
大人になってから、古本屋を覗いていて、再びこの本に出会った。
一度読んでいたので、今度は例の歌詞とは違うということも、ストーリーも知っていて読みなおしたのを覚えている。
もう少し丁寧に読みこんだ。
主人公に近い年齢だったので、かなり現実感を伴っていたように記憶している。
はじめ、ノラの無邪気さに腹を立てながら読むも、最終章、最後の決断には「よお~し、よくやった」と賛同したのだった。
ページの端がいくつか折ってある。
ノラ「私は実家ではパパの人形っ子でした。ここではあなたの人形女でございます。・・・中略・・・これが私たちの結婚でした、トルヴァルトさん(夫を名字で呼ぶ)。」(人形の家,P147)
とか、
ヘルメル「・・・しかし、男子はだな、たとえ愛する者のためといえども、名誉を犠牲にすることはできんのだ!」
ノラ「しかし幾千万の女はそれをしています。」(p154)
ハハァ、ここが、当時の私のキモだったのだなぁ・・・。
そしてそれからまただいぶ歳をとって、もう一度読み返してみた。
うーむ。
同じものを読んでも、やはり年齢なりにいろいろ考えることって違うんだな~。
この歳でどんなふうに感じたかは言わない。
※写真に一緒に写っているはシスレーの香水で、本文とは関係ありません。