パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

沈黙の王

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以前にも書いたが、ここ5年、歴史小説作家の宮城谷氏の小説にどっぷりはまっていた。気に入ったものは、最低10回は読み返していると思う。これは、大人になってから読むと面白いほうの本。

氏は中国古代史上の有名な大公望や孟嘗君、重耳など、たくさんの偉人を書いている。
 
初めは少し読みにくい。なぜなら登場人物が中国名で、一人の人物に対してたくさんの名前が折々で出てくるので誰が誰なのか判別できるようなるまでが大変。(姓、本名、あざな、何番目の子供か、王子かという地位、死後の敬称などがあり、使い分けられている)
 
また、この方は言葉を非常に大切にしていて、普段使わないような漢字をあてており、時に戸惑う。例えば「見る」をとってみても、看る、観る、視る、望る、(みる、みる・・・と、ここでは変換できないようなミル)とか。それは、その漢字の成り立ちを踏まえて、この場面ではこの文字がふさわしいと丹念に選んでいるように見受けられる。
 
しかし、難しい漢字にはちゃんとルビがふってあるし、情景描写の美しさには感涙。読み進んでいけばいくほど、そのストーリーの面白さ、人物の性格のかきわけに魅了される。
 
何より正確な史実に基づいて肉付けされたフィクションの世界は、自分がその時代に生きてその場に居合わせたようなリアリティがある。すごい。この方の小説にはど真ん中にぶれない思想があって、だから言葉だけのうわっつらで滑らないから、こんなに感動するのだと思う。
 
かなりの長編小説でもすぐに夢中になってしまい、毎晩、家に帰ってベットで続きを読むのが本当に楽しみなのだ。
 
たくさんの有名な長編小説があるが、ここでは短編集の中から「沈黙の王」という殷(いん)の皇太子、丁(のちの高宗武丁)の話を取り上げた。紀元前
13世紀の王朝である。登場する人々は質朴で、ストーリーは単純である。しかし、シンプルだからこそ、とても大切なものを内包している。
 
王子は生まれつき声が出ない。当時、王は神の言葉を人々に伝える役割をもっていたので、大人になっても(祝詞以外)話せない王子は、王位を継ぐ資格がないと判断され、国を追われてしまう。
 
表現する力をもっていなければ、どれほど心が豊かで、体験を積み知識が豊富で、知恵があったとしても、人にそれを知らせるすべがない。
 
長い旅に出た王子は、古代の物語にふさわしい不思議な体験を重ね、やがて自分の心を読み、代わりに語れる運命的な一人の人物と出会う。彼はこうして自分の言葉を見つけた。しかしこれはただの奇跡、奇談ではない。
 
父王の死によって王位に戻った丁は、目に見える言葉を作ろうと考える。文字の誕生である。「白」という抽象的なものを、どうやって形に表すか。物語はそこで終わる。
 
私たちが当たり前に使っている文字を、持たない時代があった。だれかが文字という概念を生み出さなければ、歴史を記し、広め、後世に長く残すことは出来ない。
  
他の偉人の伝記に比べると地味な短編であるが、宮城谷氏が小説の中で特に言葉を大切にする原点が、この物語にみつかるのではないかと思う。
 
 
おまけ
 
大昔、写真を撮られるのはみんなそんなに上手ではなかった。しゃちほこばって、直立不動だったり、顔がこわばったり。それが、プリクラができて、若い世代はみんな可愛くとられることにうまくなっていった。さらにデジカメの登場以来、いくらでも写していくらでも選べるという心安さから、自然な表情でとられることにもなれた。
 
カラオケの登場で、だと思うのだが、今の人はとっても歌がうまい。 なんにしろ、数をこなすということは上達の道である。
 
さて、 文章も、「小説家になりたい人は、読みたい人よりも数が多い」と私に言ったのは、故・藤原伊織さんだ。書くことが好きな人は多い。私もその一人であった。しかし、名作やすばらしい本に出会うたびに、身の程を知るというか、凡人はひれ伏すしかないという気持ちになる。
 
いくら書いても、昔は出版するより人に読んでもらうすべがなかったのが、ブログを使って、ダイレクトに公開できるようになった。皆書きなれて、いろいろとうまい文章に出会うことが多い。
 
しかし一方で、凝りに凝った表現や、こじゃれた言葉を安易に使う小説もたびたび見られる。言葉に酔って、雰囲気だけが泡のように漂っている。
 
それに、ワンフレーズになってよく使う決まり言葉は、手垢がついて文の品格を下げる。締め切りに間に合わず、急いでまとめあげたような、プロの書く記事でよくみられる。
 
私も、美しい言葉が好きだし、それを使いたいと思う気持ちもある。しかし、劇薬と同じで、塩梅(あんばい)と使いどころはとても難しい。多すぎたり、言葉の響きだけにおぼれると、中身がない、意味のない羅列で終わってしまう。
 
名医が薬を処方するように、言葉を選んで置いていかなければ。宮城谷氏がこれだけの漢字を使い分け、言葉を選び、美しい表現に組んでいくのは、達人だからだ。当然、まず小説の中身があり、信念があるからだと思う。
 
「書いているうちにすらすらと言葉が出てきて、誰かが降りてきて書かせてもらっているようだ」というのはよく聞く。しかしそれは、やはりそれまでの練って練った経験が熟成して起きることであって、思いつきで書いているような段階では、聞きかじった言葉を思い出している錯覚にすぎない、と思う。
 
 
香水の教室に入ると、はじめに「香りと私」のテーマで作文を書いてもらう。10年も前、私がもっとも感動した短い感想文には、ひとつも難しい言葉は使われていなかった。やさしい思い出には、その人となりが現れて、香りが大好きな気持ちが素直に伝わってきたものだ。
 
自分の言葉を見つけるのは大切だ。ありふれた食材でおいしい料理を作るように、普通の言葉を重ねて書きたいものだと思う。
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