宮城谷氏の本には繰り返し読んでも味わいつくせないものがあって、すべてを紹介しきれない。もっとも気に入っているのは「天空の舟」という、「夏」が滅び、「殷」に王朝が変わる物語だ。
史実に基づいて書いていても、小説ではあるからフィクションだ。歴史上の出来事を通じて、氏の考える理想の君主像や、人間の愚かさ弱さなどが投影されていると思う。そこが読んでいて楽しくもあり、ある時は自身に重ねて励みにもなる。
また、同時代の同じ戦いを舞台にしていても、別の小説で相手国の視点で描いていると、同じ登場人物でも評価が微妙に変わり、それも面白い。人は一面で語れるほど単純ではない。
好きなシーンはしばしば手にとって繰り返し読むため、(行儀が悪いが)ページの角が折られている。
そこだけ抜粋して書いてどれだけの意味があるのか、とも思うけれど、脈絡なく書き留めておきたい。
太公望は、古代の殷(イン・商とも言う)を滅ぼす、周(しゅう)国を助ける軍師である。針のない釣り糸を垂れて、周王をつりあげた有名な人物といえばわかるだろう。宮城谷氏は、小説「太公望」の中で「周の王」にこんなことを言わせている。
帰国の途、王の靴紐が解けるシーンがある。周王が自分でそれを結んだので、近くにいた大公望が、
"「どうして他の者にお命じにならないのです」と、きいた。
すると周王は、「上等な君主の周りにいるものはみな師である。中等な君主の周りには友がいる。下等な君主の周りには召使しかいない。それゆえ、近くのものを使うわけにはいかぬ」といった。"(太公望、2001、P384)
もうひとつ。
短編「鳳凰の冠」の中で、晋国の名家に生まれた叔向は、兄嫁と嫁取りの件で語り合う。彼には心に秘めた美姫がいるのだが、軽妙なやりとりの中で、義姉にこんなことを言われるのである。
「・・・男を魅了するのは真の美女ではありません。真の美女は男に魅了されるのです。」
「男の中にある、深さ、遠さに、美女は心身を投げかけてゆき、自らの美しさが見えぬところで、やすらごうとするのです。おわかりでしょうか」(鳳凰の冠,1992、P233)
硬いばかりでなくこの豊かさ。冒頭の清新な情景描写から、いつも物語に引き込まれていくのだが、折々に出てくるこういった滋味あふれる表現に、この方の人間に対する洞察というか愛情が深さをいつも感じるのである。
今までたくさん時代小説を読んできたけれど、宮城谷氏の本を読んで以来、若いころに夢中になった歴史ものに物足りなさを感じるようになった。
氏の小説を紹介し、読まれた方からも同じような感想を聞く。もちろん、娯楽に徹した痛快な本も時にはいいものだが。