夜、疲れて帰って来たホテルの窓から大坂城が見える。
ライトアップされ、白く光る壁がきれいだ。
カーテンを開けてしばらく眺めていた。
朝起きて部屋のカーテンを開けるとそこにどどーんと大坂城。
上から見ると近そうなのに、ふらっと寄ってみようと足を向けたら意外に遠い。
城が大きいからそばに思えたということだろうか。
暑いし、往復の時間を考えるとちょっと散歩と言うわけにもいかず、橋のあたりで引き返した。
いやー、立派だなー。
立派ではあるけれど、がっちりしてどことなく垢ぬけない。
もともと、天守閣と言うのは戦いのための城であり、敵や家臣、被支配者層を威圧するための権威の象徴、垢ぬける必要もないのだろうが。
(しかし彦根城は小さいけど、きりっとしてなかなかよかった。)
豊臣秀吉は武将として成長していく時代から、天下統一により栄華を極め、晩年は権力にしがみつき精神が老衰していく。
城は3回も建て直されたものだから、この天守閣は豊臣の時代のものとは違うけれども、晩節を汚すようになってしまったのは、やっぱりこういうハコモノを作ったからじゃないかな。
「権威」に「奢り」の着物を着せて城と言う形にしたために、それを求め群がるものたちの争いを起こした。
後継者に遺(のこ)すなら、人に盗られたり、減ったりしないもの・・・、逆に増えていき、産みだすものを残さなければならない。
それは無形のもの。
それこそが本当の遺産ではないだろうか。