京都旅行といえば、小学校、中学校の修学旅行、そして親しい友達と行った大学の卒業旅行くらいだろうか。清水寺や法隆寺など、基本的な観光地には行ったはずであるが、記憶は写真のように断片的で、地理感がまったくない。
大人になってその後は、日帰り出張や大阪、神戸の行きかえりに駆け足で通り過ぎるだけ。ちゃんと街並みを歩いたり、ゆっくり食事をした記憶もないのである。
今回も3日間の催事に出展するべく来たので「お仕事」ではあるのだが、朝早くから会場に入るので、前日に京都に来ることにした。その日の午後に知人と会って、夕方から自由な時間が少しあったので、宿(やど)の近くを少し歩いてみたわけである。
台風の前でぐずつく天気だが、折よく雨が止む。蹴上(けあげ)の方からだらだらと坂を下り、なんとなく気分で路地に入ったりまた大きな通りに出たり。
なんといっても、久しぶりの京都であるし、どこに何があるかなども不案内なまま、名所と呼ばれる建物などに遭遇するのを楽しむのである。
しかし、鳥居とは反対の方へ向かい、青蓮院(しょうれんいん)から知恩院(ちおんいん)の脇を通り過ぎる。雨上がりの夕暮れの道はさほど人通りもなく、しっとりとした空気が麗(うるわ)しい。
立派な樹が次々と現れるので胸がトキメク。白い漆喰(しっくい)の塀と瓦の濃い灰色、そして巨樹が相まって、千年の都の風格を感じさせる。
「ああ、私、いま京都を歩いているんだわあ...」
プチ自由の満喫。
この道に入ったころから、芳(かぐわ)しい香りに包まれる。スパイシー、カンファーでリナロールのさわやかな香り。ブラックペッパーオイルの香りにも似ている。
楠(クスノキ)からは樟脳液(カンファー、カンフル)が得られる。あの、だめになりかけた人や物事を蘇生させる「カンフル剤を打つ」というあれである。
同様の香りは新宿御苑を歩いているときもしばしば感じられる。御苑の森にも楠か芳樟(ホウショウ)があるのだろう。しかし、ここは一層強く、密度があるようだ。木の大きさもあるし、気圧や湿度のせいかもしれない。
気分の上がる理由は、この香りにもあるのだろう。
「蓮如上人(れんにょしょうにん)御誕生之地」という石碑。ただもう、やたら歩いていても歴史的な名前に遭遇するのは、さすが古都である。
江戸剣客(けんきゃく)ものを読んでいる時分は、江戸古地図を買って、その足取りを追ったりもしたものだ。
やたら楽しい。。。
この感じ、何かに似ていると思ったら、風景は180度異なるけれど、パリの街を歩いているときと同じだと感じる。
ホテルを中心にして、ひとりでパリの石畳を歩き、坂を上りながら「そこの角を曲がったら何があるのだろう?」と好奇心と勘(かん)を頼りにほっつき歩く。面白そうなものを、比ゆ的にいわば犬のように嗅ぎまわるのである。
すてきだなあ。あいまいな夕暮れに灯りがぼんやりとして、パリのルールブルー/L'HEURE BLEUE(青い時)とはひと味違うロマンチックさ。誰もが感傷的になれる場所。
いったん四条に出てまた三条へ上がり、そこから今日の目的地である木屋町(きやまち)へ。ちょうど新幹線の中で、池波正太郎の「その男」という小説を読んでいて、偶然にも薩摩、長州、幕府方の隠密が、この木屋町を中心に密かな戦いを繰り広げているところなのである。
「勉強になるなあ・・・。」
空想上の世界が、しっくりと馴染んでくる...というには、浅すぎる体験ではあるが。
そして地元の人に紹介していただいた、「京都のおばんざい」が頂けるという「あおい」というお店に集合。こざっぱりとした店内には素敵な女将さんがいて、カウンターの大鉢においしそうな(実際とても美味しい)お料理がずらりと並んでいる。食いしん坊としては、写真を撮るのも忘れ、その味に恍惚(こうこつ)となる。
ほろ酔いの中、常連さんと女将さんのやりとりを音楽のように聴いている。決して自分で使うことはないが、その土地でその土地の言葉を聞くのは、耳にとても心地よいものだ。
しかし翌日からの仕事を考え、名残惜しいけれども早々に宿に帰り、びっくりするほど早く寝てしまったのだった。せっかくの京都なのに。。。
パリよりずっと近いし、またすぐに京都に来たいと思う、一夜であった。