パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

Jean Patou JOY 1930 (ジャン・パトー ジョイ)

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ローズとジャスミンのアコードで有名な香水、ジョイ。同じく贅沢な材料をふんだんに使った「1000」(ミル)は確かにいい匂いだが、ジョイの方が香水としての完成度はずっと高い。
 


古いボトルを掌にのせてそっと鼻を近づけると、蓋をあける前にもかかわらず、その隙間から、「私は外へ出たいのよ!」とすでに花は開いている。

この香りをつけていた知り合いの女性が、とても強い人だったので、その思い出のせいで私にとってはやや圧迫感を感じる香り。

 

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<ジャンパトーの歴史>

1988年、フランスノルマンディーで皮革商の息子として生まれ、1910年にパリに渡るまで、おじの経営する毛皮店で働いていました。その後、ロン・ポワンに「パリ」という毛皮とドレスの店を開きましたが、第一次世界大戦に大尉として従軍、終戦後、パリでサンフロランティン通りに1920年にジャンパトウという名で店をオープンしました。

1925年に、香水「アムールアムール」「クセジュ」「アデュ-サジェス」を発表、それは愛の物語として、「ことの始まり」「何が起こっているの?」「良識よさらば」を表しています。

1930年発売のジョイは、調香師アンリアルメラスが「あまりにも材料が高すぎて商業的に使えないが」とみせた香りを、パトウが「これこそが私たちにふさわしい、世界で最も高価な香水」といって生まれました。

「香水のロールスロイス」というスローガンで、ロールスによって届けられたと言われます。ジョイには、最高級のグラースのジャスミンと、ブルガリア産ローズがふんだんに使われました。

ボトルはルイ・スーのデザインによるハンドメイドで、底に客のイニシャルが入りました。筆で金文字がかかれ、文字がはがれないよう2度焼きされています。一つ一つ丁寧に検品をし、少しでも傷があるものは直ちに処分されました。黒い瓶に赤いキャップは中国の鼻煙香のボトルを意識したデザイン。

ボートや女たち、そして2台の車‐雨の日は黒の車で白人の運転手、晴れの日は白の車で黒人の運転手、といったパトウの贅沢の逸話はたくさんありますが、ジョイに代表されるように、パトウは常に、女性を贅沢に飾ることを考えていましたが、47歳の若さで他界、レイモンパルパスが後を継ぎました。

参考(Perfume Legend)

写真:パルファンサトリ コレクションから

 

 

 

※写真はすべてパルファンサトリの所贓品です。

パルファンサトリがフランスや世界各国で集めたアンティークの香水を紹介しています。

 

 

 

 

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