小泉淳作氏は、創るということに対して非常に厳しい人だ。そして、この「アトリエの窓から」は、真摯な人間に対しては、優しい本かもしれない。
プロになる厳しさや、若い頃の逡巡、商業アートと芸術の違いなど、長い道のりを乗り越えてきた方が話すからこそ説得力がある。
私はこの本から、見えるものも見えないものも、なにに関しても、創るに関わる厳しさと酷さ、喜びなどを学んだ。
というよりは、学び方を知っただけで、いまだ学んでいる途中と言った方が正しい。いや、途中なのかもわからない。
本の冒頭は、「個性というもの」から始まる。
「絵画作品に現れる個性というものは、すなわち作者自身であって、無理に画面の中に特徴を表そうとしても、それは個性ではなくて単なる作意に他ならない。作者は自分自身の心の中の欲求や感動を素直にみつめ、それに従うことによって画面に自然ににじみ出てくるものが、本当の個性というものではないかと思う。」(アトリエの窓から,1998年,P10)
今から12年前、この本に出会ったとき、厳しい師匠にビシビシ叱られているような気がした。また、軽妙な語り口が、時にユーモアがあって暖かい人柄をも感じ、励まされたり慰められているような気にもなった。
特に、氏がシーラカンスに出逢った時の衝撃を話しておられる章があり、「心を動かされるというのは、こういうものなのか」と、こちらまで感動が伝わってきた。それは、素直にその時の気持ちを語っていたからに違いない。
1999年に、ある香水のコンテストがあって、その課題が2000年を前にした「ミレニアム」だった。
私は、「我の名はシーラカンス、三憶年を生きるものなり」(P54)という氏の讃を引用させていただき、「2千年など僅かな時間に過ぎず、人間はそれで驕ってはいけない」というような内容で「シーラカンス」という香水を提出したのだった。海の底に静かに息づく怪魚をシプレーで表現した。
人類の歴史を讃える内容が多い中、ちょっと異色だったためか、面白いという評価と小さな賞を戴いた時は嬉しかった。その直後、代々木にサロンを開いた時、それにちなんでシーラカンスの学名Latimeria(ラチメリア)という名で始めたのだった。
若い時というのは、欲もあるし夢もあるし、評価もされたい。それが大きければ苦しいが、まったくなければ何かを達成することはできない。あきらめたり、挑戦したり、気持ちは常に揺れている。
「迷いながら、苦しみながら道を模索する、それが人生だ」ということがいつになったらわかるのだろう。そう思いながら、この本を道しるべに今も歩いている。
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