パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

名香を鑑賞するとき

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香水の記事を書く時は、昔の記録を読み、資料や本を開き、過去の記憶が正しいかどうか実際の香りを試して確認する。

これは、自身の勉強のため。調香や、評価などの作業中には体につけられないので、(コンシャスが下がり邪魔になる)別の仕事の合間や休みのときに書いておいたりする。

 

初め、ムエット(試香紙)につけて評価する。同じ名前の香水とオードトワレ、コロンなどある場合は両者を比較して見る。 複数本ある場合は、品質チェックも兼ねて全て確認。

つぎにごく少量を手首につけ、時間をおいて鑑賞する。紙と肌ではだいぶ違う。体温と室温の差によって違いが現れる。

香水自体の保管状態、製造時期によってもだ。

保管に関しては、箱に入って倉庫などで温度管理がされていたものと、個人の家の窓辺のドレッサーの上に置かれていたものでも劣化の度合いが違ってくる。

発売当初使えた香料素材は、だんだん使えなくなるので、処方は毎年または数年ごとに少しづつ変更が加えられる。理由はIFRAなどの規制や、コストの問題など。

エイジング(経年変化)があるので、50年前に作られたものなら、その時代にさかのぼって作りたての香りを、今、ここで嗅ぐことはできない。(ただ、劣化分を差し引いても、発売当初のものはいい。)

 

こういった理由から、昔のものと現在作られたものを比較しても、正確に比べることは難しい。そこで、可能ならば複数の瓶から、何度も試香したり、シミラーして(処方を再現)みたりすることで、香りのコアや作者の意図などを探ってみたりする。 

 

しかし、香水と言うものは、例え処方を読むことができ、芳香分子を知っていたからと言って、それだけですべてを理解することはできない。詩を、音楽を、風景を、肌ざわりを、香りの向こうに感じられるものだけが添い遂げられる。

 

大手拓次は「香水の表情」に就いて、こう語っている。ここにその一部を引用したい。

「もの忘れした時のやうに、おぼえもあらぬ残り香の漂ひきて薄明<うすあかり>のなかをそぞろあるきするにも似た心地に誘はれることがある。

香水の持つ、このexpression(表情)の魅惑は、更に鋭い感性の探針によつて、いよいよ豊かに、その盛りあがり、湧《わ》きたつ幻想曲を吾々の前に現出する。

 

香水は、それを愛用するものに、見知らぬ国を与へるのだ。薄明と夢との交錯する国でありうつらうつらとした青き白日夢《デードリーム》の国である。また、限りない漂泊の旅路の想ひの国である。

 そこに、香水撰択の至難がある。譬へていへば、その表情のハイフエツツの優婉に似通ひしもの、エルマンの甘さに似通ひしもの、ヂンバリストの寂びに似通ひしもの又は、イサドラダンカンの舞踊に、あの華やかなりし頃のニヂンスキーの「牧神の午後」の怪奇さに相通ずるものなど、吾々近代人の香水の選び方は様々の聯想を強ひられる。」

 

大手拓次(1887-1934)

ライオン本舗に勤めながら詩作をを行う。生涯に2400の詩を書いている。北原白秋萩原朔太郎に影響を与えた。

(上記文章はインターネットの電子図書館青空文庫から引用させていただきました)http://www.aozora.gr.jp/cards/000190/card46403.html

 

※写真は大沢さとり所蔵品

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