パルファン サトリの香り紀行

調香師大沢さとりが写真でつづる photo essay

ミソハギ 禊萩 絵日記  Lythrum anceps

 

 

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暦の上では秋といっても、まだ暑いアスファルトの上に、近ごろやたら目につく蝉のなきがら。


思えば子供時代に経験した最大のピンチは、八月の後半、日増しに強くなるツクツクボウシの声とともにやってきた。
それも毎年、こりずに。

お盆が終わればもう、あっという間に夏休みも終わってしまう。
導火線に火がついた状態である。

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絵日記は、夏休みに関わらず毎日書くのがうちの小学校のしきたりであった。
が、学校のあるうちはまだ週に何度か先生のチェックがはいるので、あまりためることはない。

夏休みに入って30日間、放置されるままに積もった絵日記の溜め書きは、残り10日で4日分書けば間に合う机上の計算。
1日ひとつ書くのが大変だから溜まったという事実には目をつぶり、4つも書くなどと無謀な計画。
そうこうしているうちに数日が過ぎ、5日では8日分を書かねばならぬ。

 

今思えば大したことではないが、直面しているときは子供なりに深刻である。
しかしこうして大人になっているからには、毎年なんとかピンチを切り抜けることができたのだろう。

なに、乗り越えられない困難などないのだ。
あとになってみれば。


やはり、小さい頃から多少の試練は必要なことである。
(このセリフ、当時巻きこんだ母親を筆頭に叔母や兄には聞かせられぬ)

 

このところ秋虫の声を聞きながら毎日、その感傷とも焦燥ともつかぬ気分に浸ってしまうのは、大人になっても逃れられない日々の締め切りのせいであろうか。

今日までにやらなければいけないこと、今週まで、今月までと次々と打ち寄せる土用波のような宿題。


しかし子供のころよりずっと忙しいはずなのに、なぜかこの年になって日記(ブログ)だけは毎日きちんとアップしているのが不思議と言えば不思議。
案外その頃のトレーニングが、数十年を経て開花しているのかもしれない。

 

本当は内容も吟味して、よく文章を練って、もっともっと書きたいことがある気もするのだが、続けるだけは続けている。

たいした内容でないとはいえ、人に強制されていないからこそ書きたい気持ちがおきるのかも?
勉強というものについて、このへんは世の中の母親たちもよく勘案してもらいたいものである。
(いや強制されて無理やり書いたから今があるのかも。すっぱり言えない優柔不断は昔から )

 

ミソハギはお盆の時にお供えされる花。
昨日の「サルスベリ」も同じミソハギ科である。

大きな萩の花に比べて庶民的だ。

長いこと「ミソ」が禊(みそぎ)だとしらず、「味噌っかす」な花という意味だと思っていた。
末っ子の私が「この子はオミソだから」と言われていたように。

 

 

 

ミソハギ  ミソハギ科 ミソハギ

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