昨日の続きであるが、服部先生の叙勲式の引き出物は、やはり村上開新堂のクッキーだった。
「やはり」というのは、村上開新堂5代目の山本道子さんと服部先生は古いご友人だし、「僕の3時のおやつはいつも開新堂のクッキーだから」とおっしゃっていたからである。
フランスとの食の文化交流に尽力していらした服部先生は、いままでにもたくさんの勲章を頂いているが、このたびはレジオンドヌールを褒章された。
勲章を胸にスピーチされたときは、この叙勲を自分ひとりのこととせず、日本の食に携わる人々がこれを機会にもっと世界で評価されることを望んでいる、と語られたのが印象的である。
この村上開新堂の初代の光保氏は天皇の御膳職をされていたが、明治維新を機とする政府の欧化政策の一環として、横浜の外国人居留地で洋菓子製造を学び、明治7年に麹町に創業する。
話がそれるが、ちょうどいま、山本兼一氏の小説にはまっていて、幕末の三舟と呼ばれる山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)の本を読み終わったところなので、なおさら維新の時代がリアルに思い浮かぶような気がする。
ちなみに、この山岡鉄舟が主人公の「命もいらず、名もいらず」という小説では、木村屋のあんぱんが創意工夫により生み出され、明治天皇の口に入るいきさつなどもかかれており、新しい食の技術に取り組んだ、当時の人々の姿がよけいに身近に感じられるのである。
昔ながらのピンクの無地のクッキー缶。
今は舶来の派手なお菓子がたくさんあるので、当世風が好きな人から見たら、この素朴な装いはずいぶん地味に思われるだろう。
缶の中にはぎっしりと、たくさんの種類が入っている。
そのため下の方から引っ張り出してくずしたら、もう元に戻せないくらい何層にもクッキーが収まっているのだ。
村上開進堂のクッキーは、今でこそ1ヶ月ほどで手に入るが、昔は3ヶ月前に予約したものである。
若い頃はごく普通のお菓子と思っていたが、年を取ってからは、やさしいお味が安心感のあるものと感じられる様になった。
ごく普通の物を作り続けるということが、今では稀有なことのような気もする。
今日はちょうどお教室の日だったので、サロンで開封しコーヒーと共に生徒さんたちとほおばる。
開けっ放しにしては、すぐに湿気てしまい香ばしさがなくなってしまう。だから食べる分だけお皿にとる。
カリッとして、いくつたべてもちっとも飽きないし嫌にならない。