先日の記事に載せた写真は、仏事用の母の指輪である。
仏事の装飾品には、通常パールやジェットなど光らないものをつけるが、これは木彫りのリング。
さして高価なものではないが、悼む気持ちにはふさわしいように思う。
さして高価なものではないが、悼む気持ちにはふさわしいように思う。
まだ私が十代の頃は、母が弔事の席でつけているのを見て、あまり好きではなかったのだが、年とともに気持ちになじんでいくようだ。
カメオにしても、顔の彫刻は好き嫌いがあるものであるが、このお顔は眉宇(びう)から鼻にかけての線がすっきりとしていいと思う。
若い頃には、年かさの親戚以外あまり縁のなかったお葬式も、
だんだんと自分の知人、友人に亡くなる人が出る年頃になった。
こうして、母とは別に参列する機会が増えたところで、この指輪を思い出し借りてみたのである。
会場に向かう途中でバックから取り出し、薬指の途中まで入れたところ、あまりにぴったりなので、
「入るには入りそうだが、もしかしたら抜けなくなるかも・・・」
万が一抜けない時は切るしかないのだが、金属のリングと違って直すことはできない。
あきらめて、またバックの中に戻したのであった。
それでも、「持っている」と思うだけでも慰められるものだ。