今年も茶道遠州流ご宗家(お家元)の初釜に伺わせていただいた。
(正月初めての茶会を)千家では初釜というが、遠州流では点初め(たてぞめ)と云う。
静謐なたたずまいの不傳庵を訪れると、いつもすがすがしい気持ちになる。
きちんと整えられた日々のお手入れがあってこそだが、日本の建築物は美的感覚の結晶だと思う。
さて寄付(よりつき・待合)でも、濃い茶、薄茶のお席でも、それぞれ掛け軸やたくさんの
お道具の説明を丁寧にしていただく。
どれも名物ばかりで、 一つあったら、それだけでお茶会が開けるほどのものを、全てそろえてまだ毎年違うものが飾られるのだから、どれほどの贓品があるかと思えばさすがである。
直接拝見できるのは幸せなことだ。
にもかかわらず、日頃の修練あってこその観賞。
一度にお話を伺っても、せっかくの故事由来を、不出来な私の頭では覚えきれない。
いったものに触れて、自然身に付くものでなければならないが、やはりこの日の機会を無駄にするのは惜しいものだ。
私の母もそう思って40半ばから、「脳みそがザルでも、たくさん読めば少しは記憶に残るだろう」と
毎晩寝る前に名物図鑑などを何度も繰り返し読んだそうだ。
そして朝は必ず「続きお薄」を点(た)てる。
それを40年も続ければ少しは記憶に残るようになるという。
私はなかなか・・・、母からもらった蔵書は本棚に「積んどく読まないどく」で・・・。
今年はうさぎ年なので、兎にちなんだお道具がとりあわされている。
兎の香合や茶碗、などストレートに絵柄が兎のものもあるが、杵(きね)の形の花入れなど、ひとひねりして判じ物的に関連づけたものもあり、和の遊び心が面白い。
毎年趣向が変わり、といって会記はないので、いざ書こうと思うと定かではないことばかり。
覚えているものだけいくつか、自分が忘れないように書き留めておきたい。
寄りつきのお軸は、狩野永徳の息子・狩野常信(甥は探幽)による「松竹梅の図」と、正月らしい題材。300年前、江戸初期の寛永ごろのもの。
しかし驚くのはこの掛け軸、表装されているのではなく、すべて手で描かれているものだということ。
風帯から中廻し、一文字と、通常は裂地でもって軸装に仕立てるのだが、風帯の先の露に至るまで、上から下まですべてが絵になっている。
お話を聞いて、そばでよく見てようやくそれとわかるほど、精巧に描かれている。
狩野派の真作を間近で見られるのは眼福である。
なぜわざわざそんなことを、と思うが、他の人のできないこと、やらないことを試みたということらしい。でも、そうであれなんにしろ、やはり少し離れたところで全体を見るほうが美しいと思った。
濃茶席。花入れは毎年お家元が立派な竹を切ってきて仕立る。
今年は節と節の中央に口をあけ、杵を模している。
上下を逆に、根元が上になっているので上がやや太い。
花は紅白でおめでたい曙椿と白梅。
梅は古木の厳めしい枝が、白い花の可憐さを引き立てていると思う。
毎年新しくする茶尺も、除夜の鐘を聞きながら削られたとのこと。
今年のお勅題「葉」にちなんで「若菜」という銘の、大海の茶入れ。
大ぶりの唐物(中国から渡来)で、ゆったりとした姿。
高麗(朝鮮)茶碗の雲鶴。筒茶碗である。
香合は菊兎(きくうさぎ)、全体が菊の花の形で、蓋に赤絵で兎の絵が描かれている。
日本には2つ3つしかなく、おそらく中国にも今はないということである。
信楽(しがらき)に作陶を注文した灰器は桃の形で、土をよくふるっているので肌が滑らか、釉薬も白く上品な姿。
古銅の蓋置き。
建水はもっとも古いといわれる古薩摩で、阿部備中守より送られた時の箱が残っており、箱書きも手紙のような内容になっている。
普通は、新しく箱をしつらえるので、送箱(おくりばこ)が残っているのは珍しいということ。(だんだん記憶が怪しい)
薄茶席の花は白い水仙と紅梅、ほっそりとした杵のかたちの花入れ。
兎の顔のユーモラスな銅の蓋置きや、兎柄の染付の香合と、飾り付けも濃い茶席より軽めで、すべての席を通じてバランスで整えられている。
点心(お食事)の後の、ゆるりとした和やかなお席で、紅白の干菓子とお薄をいただく。
弟君のお手前が終わり、開け放たれた障子の向こうに、
曇った日暮れ時の茶庭の、薄墨色にかすれていくのがなんとも風情がある。
冷たい空気が心地よいのは、前の席でお酒をいただいたせいかもしれない。
お家元や奥様、御家中のお心のこもったお席での贅沢な一日。
恒例のくじびきで、今年は筆をいただいた。
松の緑の筆は、京都「嵩山堂はし本」製。
感謝申し上げます。
やはりお話をうかがったままにせず、文字にしようとすれば、もう一度調べたり復習するので多少は覚えたかも。
知ったかぶりの恥を忍んで書いたので、間違っているところはごめんなさい。
明日は、裏千家のお初釜。