パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

藤娘(ふじむすめ) 日本舞踊③

 

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日本舞踊最後の演目は小学校6年生、「藤娘」だった。

過去ログより抜粋

『 ただそのときは歌の意味などわからず、きらびやかな刺繍の着物を着て、藤の枝をもたせてもらえるのがうれしかった。塗笠(ぬりがさ)をかぶり、長いふり袖にお引きずり、途中に「引き抜き」と言って、一瞬にして衣装を替える場面もあり、盛りだくさんなのだ。

だいたい、「娘」とか「姫」という言葉がキライな女の子がいるだろうか?(いくつになっても)

発表会(の衣装)が好きなだけで、お稽古はあまり熱心ではなかった。「首はこう」「指先はこう」「ハイ、腰を落としてこう曲げる」いちいちポーズを止めて直される。静かな動きだからこそ、日本舞踊は重労働なのだ。

そんな調子なので、舞台の花道(はなみち)からの出で始まる一幕だけのリハーサルで上がってしまい、頭が真っ白に。一応観客(お弟子さんたちの家族)もいる中で、長唄が流れるあいだボーゼンと立ちつくしてしまった。エゝしょんがいな。

本人はたいして気にしていなかったのだが、周りがこれは大変だとばかりに、それから1週間後の本番に向けて名取の先生が家まで出稽古に来て下さった。上演当日、少しドキドキしたがいざ始まってしまうと案外落ち着いて、本番はつつがなく終了した。

たぶん、母が一度は藤娘を踊らせたかったのだろう。学校はお稽古場と反対方向で、家から電車を乗り継いて1時間かかる。中学になり通うのが難しくなったのでやめさせていただいた。(この敬語は先生に対してもの)』 

  

最近、この写真が出てきて、当時が懐かしく思い出される。
化粧や鬘の苦労だけでなく、衣装も重くて子供には大変だった。
着物と帯で10キロはあったのでは?

 

下の写真は引き抜きといって、一瞬で上の衣装を取り去り、重ね着した下の着物を見せたもの。

 

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繰り返しになるが、 なにしろおけいこをサボってばかりで、「藤娘」もずっと前にならった演目から、

「これならおさらいすればできそう」

というものを選んだのだった。
(ということを、小学校の日記を読んで思い出した。 )

 

 

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よく取ってあったと思うのだが、茶箱の中から、小学生の日記を製本した「レンガ」なるものが出てきた。

卒然と思いだしたのだが、そういえば、うちの学校では、3年生までは、毎日日記を書くのが国語の義務だったのだ!

夏休みの宿題どころではない。よく毎日書けたものだ。週に一度、先生の朱色のペンで批評が書いてある。
(溜め書きは絶対していただろうと思う。捏造もあったかも。)

 

1年生の本が厚いのは、絵日記だったから。

2年3年とだんだん原稿用紙のマスが小さくなり、それにつれて本の厚さも薄くなっている。

 

その、2年生の日記に、こんなことが書いてあった。

『ふじむすめが一とうり終わったので、こんどはすえひろのお姫さまというおどりにしました。

お姫さまなので、ひんをよくしないと、しかられます。

これは二人でやるおどりで、お姫様と太ろうかじゃでした。

わたしは、

「たろうかーじゃ、おるうか」

というところまで、おぼえました。とてもむずかしい。』

 

つまり、2年生の時に習い終わった藤娘を、6年生の最後の舞台にしたというわけであった。

都合10年通ってはいたが、プロフィールに「日本舞踊習いました」とは書けないな。

(ピアノも習いましたとは言えないな・・・)

 

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ここのところずっと、香りのことを離れて、まったくの懐古録みたいで恐縮だ。

古い家の倉庫から、思いがけずたくさんの茶箱(昔はみんなここに茶道具やら着物やら本やら入れていたものだ。)発見され、子供時代、昭和を懐かしく思い出している。

母親も年だし、いろいろ昔語りに聞いたことを、自分でも忘れないように書き留めておきたいと思ったしだいである。 

 

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