世間(よのなか)を憂(う)しと易(やさ)しと思えども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば 山上憶良 万葉集
「この世の中を生きてゆくのはつらく耐えがたく、身もやせるほどで、いっそのこと何もかも捨ててとびさってしまいたいとはつくづく思うけれども、それさえもかなわない。自分の翼で飛び去ることのできる鳥ではないのだから・・・」
本当はこの本は、時間をかけてゆっくり書きたかったのだ。いっときはそれほど、自分にとって特別な本だった。優れたものは、説明するほどに安っぽくなってしまうのが残念だ。
本小説は、実在する人物を元に書かれている。主人公は筒井康隆氏の「空飛ぶ表具師」にも登場する。出生年があいまいではあるが、ライト兄弟が動力で初飛行をした1903年より、少なくとも100年は前の19世紀初頭には、今で言うハンググライダーの様なもので空を飛んだらしい。
なぜ彼は空を飛びたかったのだろう。
舞台は1756年、江戸時代の備前岡山。鎖国下にある、閉塞感のある時代に生まれた主人公、幸吉は、腕の良い表具師になる。
子供の頃から審美眼を持ち、人と違う景色に感応し、飽くことなく遠くを見続けるために、彼は幼くしてすでに孤独である。
しかし、胸に秘めた想いと現実の間にある苦しみを、同様に持つ人たちがいることを、その成長の過程で出逢っていく。彼は思う。
「人はみな同じものを見、同じものを聞いたとしても、同じ思いを抱くわけではない。いや実は、人それぞれが見たり聞いたりしているものは、すべて異なるものなのだ。
ところが、世の中には、己の見聞きするものと、同じものを感ずる人がいる。(本文より)」
もう一人、卓越した画才を持つ青年がいる。貧しさのために、低俗なエセ芸術を気取る金持ち相手に、幇間(たいこもち)の片棒を担がされる。美しいものを知るからこそ、愚劣な人間とは一緒の空気を吸うのも苦痛だと感じている。強烈なしっぺ返しをして江戸を去る彼は、やがて諸国をめぐり、幼い幸吉に出会い、影響を与える。
冒頭の山上憶良の反歌は、初めに彼が幸吉に伝えたものだ。そしてその先は全編に繰り返し、鳥になぞらえたエピソードがちりばめられ、その鍵をつなげていくと、「飛ぶこと」に特別な思いを持つ主人公の生涯が浮き上がってくる。
さらに、第2章。幕府と豪商の癒着に圧殺される市場経済に、敢然と立ち向かう塩問屋の物語へと移りながら、不屈の信念の物語は場所を変え、幸吉とからみながら続く。
表具師になった幸吉は空を飛ぶことで、幕府のおとがめを受けた。死罪にされたこととして放逐され、廻船の船乗りになり、最後は陸に戻って商いで成功しながらも、どうしても空を飛ぶことに憑かれて諦められない。数奇な運命に翻弄されながらも自分の「生」を貫き通す。
もし、あなたが創ることを生業としているなら・・・より高みを志ざすが故に「完成」というものが、どこまで追っても届かぬことを知っているなら、読んでみるといいかもしれない。