パルファン サトリの香り紀行

調香師大沢さとりが写真でつづる photo essay

いちょうの赤ちゃん

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いちょうの新芽がでて

あんなに待ち遠しかった桜の時期もあっという間に過ぎ、新緑の季節になった。

 

「いちょうの赤ちゃん」は、一週間でみるみるとした「こども」に成長し、4月23日の今はもうこんなに大きく育っている。

 

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毎日、世界のすべてが成長していく。昨日と今日、今日と明日では、同じ景色を見ているようでも、もう違う世界なのだ。

 

狂ったような拝金主義の時代があった。物質欲というのは際限のないものだという。

いいものはやはり良いし、自分のものにしたいと思うのは自然の気持ち。だけれど、買う行為だけで満足してしまっては、喜びは瞬間的であり、常に新しい刺激を求めるようになってしまう。内なる洞穴(ほらあな)が広がるだけ。

「何かを買う」というのは、ただお店から自分の手元に、物質が移動したことにすぎない。

肝心なのは、そのあと。物を所有したことによって、自分の中に生まれる感動や喜び、大切にしようとする気持ち、そのものに対する理解、鑑識眼など、心に生まれるさまざまな現象を得ていることに気がつけば、それは失うことのない財産なのである。

「消費すること」も、消えて無くなるのではなくて、自らの栄養になっている。食べ物も、形ある物質も、音楽や香りのように見えないものも、すべて精神的な「糧(かて)」になるように消費するべきである。

 

子供のころ、跳び箱の6段目を飛べるようになった時、そんなことが誇らしかった。

10年前の私、1年前の、そして昨日までの自分が、知らなかったことやできなかったことが、今日はできるようになっている。
「まだできていないこと」に気づくこともまた、「知ること」である。

 

昨日より今日、今日より明日、わずかづつでも成長していくことが素晴らしい。自分の中の成長を見つけることは、誰にも奪うことができない、不可侵の喜びである。

後退しているように見えても、じつは、後退した分だけの軌跡が、やはり経験として蓄積されているのだ。

 

悲しいことも、がっかりすることも、怒りも、すべて喜びと同じくらいの重さを持った、自分の経験なのである。

植物とともに歩めば、「芽吹き、茂り、散り、枯れて、還る」この循環が、人知を超えた意思を持つ、大きな成長だということに、気がつくのである。

 

 

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