パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

庭と植物 le JARDIN

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なぜ私は植物が好きなのだろう?


 
庭を作るのは時間がかかるものだ。
それは作り手にとって手間がかかるという意味ではなく、庭自体が成長する時間が必要ということで、それは植物が育つとか、馴染むとか、植物同士が折り合いをつけていくという意味が含まれる。
 
山も、森も。
 
 
一つの作品ができていくプロセスも、プロジェクトが実るのも、会社が成長していくのも、すべて庭を作るのと同じ。
 
時が必要だ。
少なくとも私はそう考える。
 
それだけ待てるかどうか、それは作り手の選ぶことだけれども。
 
 
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植物の博愛主義的なところは、少しくらい食べられたっていい、というところだ。
葉の一枚や二枚、齧られたところでどうということはない。
種子を拡散するためには、むしろ魅力的な果実を提供し、積極的に食べさせることもある。
 
腕の端っこをかじられても平気という動物がいるだろうか?
 
 
 
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「悲しいかな、翼があると唯一知られている花は蝶であり、ほかの花々はすべて破壊者の前になすすべもなく立ちつくしているのです」(現代語で読む茶の本 岡倉天心著/黛敏郎訳 三笠書房
 
 
 
鳥も動物も、簒奪者(さんだつしゃ)から逃げることができる、でも花は手折られるまま抗うすべを知らない。
だからといって蹂躙(じゅうりん)されてもいいの?
 
 
いいえ今日明日、得をすれば良いというあさましい考えではなく、長い植物時間によって、彼らはちゃんと理非と利害を測っているのだ。
 
それに、不当に食べ過ぎる輩(やから)に対しては、体に苦い物質を作り出し、遠くへ追いやることもできるし?
 
 
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植物は何も言わない。
 
だから何も知らない、と思うのは間違いである。
あるひ繁みの陰でひそやかに語られた不実は、さやさやという風に乗って、いつしか周辺に知られているものなのだ。
 
それゆえ植物と共に生きるなら、できるだけフェアでなければ。
 
 
それが、長くいのちをつなぐ植物の知恵と理念。
 
 
 
 
 
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