パルファン サトリの香り紀行

調香師大沢さとりが写真でつづる photo essay

OPIUM 1977年 オピウム イブ・サンローラン

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 OPIUM(オピウム)、阿片(アヘン)という名の香水。1977年。

わたしが高校生の時、歳の離れた兄の、お嫁さんになる人が好んで着ていたのが「サンローラン・リブゴーシュ」だった。

彼女は髪が長くてほっそりと背が高い。アイボリーやベージュを基調としたワードローブは上品でハイセンス。まだ、猫もしゃくしもブランドを着るという時代ではなかったので、デザイナーのことはよくは知らなかったけど、「はあ、こういうのを着こなすのが大人のおんなのひとと言うんだな・・・」と、憧れた。

当時の私は運動部一色で、エレガントには程遠い学生生活だったから・・・。

しかし、義姉は今でも30年前の服を着ている。いいものは、高くてもずうっと着れると言うことを証明する人。しかも、体型もまったく変わっていないことに脱帽!(3人の母なのに)

 

オピウムは一番好き。オリエンタルでのこの軽さ。天然物をたくさん使っている。

トップはベルガモット、マンダリン、オレンジ。スパイシーとバルサムがからんで、重厚な香調にもかかわらず、軽く立っている。シナモン、ナツメグクローブのグループと、アンバー、ラブナダム、トルー、オリバン、ペルーのレジノイドのバルサミック・グループのアコード。コラリスも近い。

下の重いバルサム、レジンのアコードがきっちりしているから、上に乗っている香りがだらけてこない。シャリマーも同じオリエンタルですばらしいけれど、それよりさらに洗練されている。(好きだからつい力が入ってしまう。)

べっとりと湿ったオリエンタル・タイプは日本でつけるのはつらい。でもオピウムはスパイスがきいてドライなラストだからいい。それでも、高温多湿の日本の夏には厳しいかもしれない。

 

ピエールディナン(ボトルデザイナー)はこの印籠(いんろう)のデザインを、初めケンゾーに持っていったらしい。たいがいそうであるように、身近なものは価値がわからないものだ。ケンゾーに断られたあと、サンローランがこのアイデアを気に入り、自分の香水の容器に採用した。

印籠と阿片、ヨーロッパから見れば日本も中国も一緒くたなのだろう。西洋から見たオリエンタルとはそういうものだ。

素晴らしい工芸品を模したボトルに入った、ゴージャスでミステリアスな香水。しかし、量産品というものは無制限にコストをかけることができない。

オピウムは漆の印籠のイメージであるべきだったのだが、最初のモデルは、安っぽい色のプラスチックで出来てきた。彼が失望し怒ったのはすごくよくわかる。その後、すったもんだの試行錯誤を経て、タッセルのついた今のボトルに落ち着いた。

 

オピウムは初めアメリカでの販売を許可されなかった。なぜならばその名前が反社会的だったからだ。しかし、パリでの成功を経て、ニューヨークでの販売が決まった時、サンローラン自身が初荷とともに船で入港した。新聞は「阿片上陸」とセンセーショナルに書きたてた。

物議をかもす素晴らしい広告効果。香水「サンローランのパリ」でも、「シャンパーニュ」でも、この手法は別の形で表れて、それがまたサンローラン伝説の一部でもある。

サンローランの服を着たら、サンローランの香水をつけるべき、というほどファッションにふさわしく、どれも趣味がよい。パリ、イグレック、リブゴーシュ、成功した香水ばかりだ。

 

サンローランは、美の神に祝福された人。若くして天才とか神童とか言われ、それをブランドビジネスとしても成功させ、作品を送り出し、マーケの重要性を世の中に知らしめ、最強のスポンサーを持ち、最高の美に囲まれて・・・すべてがそろっていた。

それなのに、常に巨大なプレッシャーに苦しめられていたという。天秤は、大きな皿に栄光と同じ重さの辛さをのせてくる。

 

   

☆ 香水名      オピウム(OPIUM)

☆ 発売年 1977

☆ 香調  オリエンタルスパイシー  

☆ パフューマー   ジャン・ルイ・シュザック(Jean-Louis Sieuzac)

☆ ブランド      イブ・サンローラン (Yves Saint Laurent)

 

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写真はすべてパルファンサトリの所贓品です。  

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