このハクモクレンの樹がいかに大きいかは、右下の人物の大きさを見ればわかる。
都内随一の大木といわれ、立て看板には樹高約14メートル、幹周約2メートルと書いてある。
昨日の、20メートルはありそう、というのはちょっと大げさだったかも。
すみれについて、
「小さな花の香りをかぐ為には、跪(ひざまず)かなければならないので、花の王様である」
とつい最近書いたばかりだが、
大木の花は高く、香りをかぐことが難しい。
だから、
「背の高い樹の花は、手の届かない星である」
せめて落ちてきた一片を、急いで口もとにあてて香りを吸う。
花びらとガクは同じ白なので、どこからが花なのかよくわからない。
外側3枚がガクだったと思う。
特に、やや茶色味を帯びた花の末期にその下を通れば、香りは深くゴムのようである。
昔に読んだのでちょっとあいまいな記憶だが、
英国に留学経験もある、清国第11代光緒帝のいとこ戴沢(ツァイゾォ)は、自邸の広い庭の中央に立つハクモクレン(コブシだったかも)を前に紅茶を飲んでいる。
樹を眺めながらその花の崇高な美しさをたたえた直後、「花の終わりが茶色く汚くなってしまうのを見たくない」と言って旅立ってしまう。
清朝の最後と重なるその行く末を、育ちのよさゆえ正視することができないのだろうか。
地中深く根を張って、取り込んだ栄養。
そこから血管のように分岐した枝の先に花をつける。
一年の養分を、香りと共に一気に放出する。
花の純粋さと対照的な、幹の節くれだった老練な様子が美しさを引き立たせている。
あっというまに満開になるさまはすばらしく気高いのに、花のいのちは短い。
わずか3日後、気がつけば花は褐色になりその花びらを地面に散らす。
わずか3日後、気がつけば花は褐色になりその花びらを地面に散らす。
累々(るいるい)たる屍骸からも立ち上るアニマリックな臭い。
でも、それは地に還り再び蘇(よみがえ)るための礎(いしづえ)。