パルファン サトリの香り紀行

調香師大沢さとりが写真でつづる photo essay

植物界の契約/kingdom Plantae

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植物界には厳格な契約があり、そのたゆまぬ履行によって秩序が保たれている。

 

日本人が几帳面な国民性を持ってきたのは、この「植物契約の中で育ったから」という考え方はどうだろう。

新宿御苑に通い始めてつくづく実感することは、植物たちは本当に生真面目だということだ。

==== 毎年頼まれもしないのに(私は祈るような気持ちで頼んでいるけれど)春になれば桜は咲くし、秋が来れば楓の裳裾も彩られていく。

派手な花も、地味な花も、草も木も葉も、時が来れば芽吹き、開いて、枯れて土に還っていくこの巡り合い。

みな、季節時計によって生活している。

 

 

「梅だって桜だって、年によって、咲く日が違うではないか、約束を守らない」
と言われそうだが、季節時計は人間の時間感覚とは違う。

植物の時計は、冬はこのくらいの寒さになって、その後の気温が「X度」以上が「Y日」続いたら、その「Z日後」に開く。
夜の長さが昼の明るさを追い越したら、何日目に逢いましょう。

そんな約束事の上になりたっているのだ。

植物界の契約書を標すとすればきっと厚い一冊の本になるかもしれない。
きまぐれに咲く花などない。

 

 

10歳の秋では、まだわからなかった。
家庭と言う暖かさの中で、習慣と言う風物を学びそして成長した。

20歳の春でも、この几帳面さが国民性に寄与しているとは思わなかった。

それから幾十歳の夏を超えて、ようやく自分を形成する肉や血や爪が、何によって育まれてきたのか、ふと感じられるのである。

 

 

 

日本は四季のはっきりとした国である。

一年を24節気という気候の変わり目によって区切り、さらに日本独自の72候という細かい分類をするようになった。

暑さ寒さも彼岸まで、など、節気にちなむことわざも多い。
それらはみな、長い歴史の中で積み上げられてきた暦の文化による。
毎年気候は変動するが、それでも何百年の歴史の中で平均を取れば旬日は誤差のうち。

この大きな輪廻の中に私たちはいる。

 

 

10月3日の今日は、72候の「水始涸(みずはじめてかるる)」
田の水を抜いて、稲刈りの始まる実りの時期である。

 

 

 

 

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