「世界でたった一つの花」という歌が流行るずっと前、悩み多き世代だったころの話。
「ユリには百合の、バラにはバラの美しさがある」とその先生は言った。
私は真剣に反論した。
「でも先生、私はぺんぺん草なんです。バラやユリじゃないんです!」
若い頃は自分を卑下して、価値のない人間だと思ったりしがち。
いえ、それは歳をとってからもそういう思考傾向ってある。
この古い話をもち出して、若い人に真面目に話すとくすくす笑われることがある。
なんでおかしいのかな。例えがぺんぺん草だから?
セリフが昭和っぽいからかしら?
でもそのときは、本当にそう言ったのだ。
しかし先生はニコニコしながら、
「ぺんぺん草でいいのよ」
「私(先生)の大学時代の教授は、ずっと苔(こけ)を研究されていて、苔を語るときには活き活きと情熱を持っていらした。あなた苔だって、ぺんぺん草だって愛している人にとっては素晴らしいものなのよ。」
今でも忘れられない言葉である。
『わたしはぺんぺん草でいい・・?』
予想外の回答にちょっと拍子抜けした気分だったが、しばらくしてとても気持ちが軽くなった。
その時に私は先生に「あなたはバラのような人」という言葉をかけてもらいたいと期待していたのかもしれない。
でも、もし美しい花に例えられたとしても、それは私にとって結局のところ救いにならなかっただろう。
『いいえ、やっぱり私はバラにはなれない』とくよくよし続けたと思うのだ。
私にはナズナ(ぺんぺん草のこと)はつまらない草で、バラが素晴らしいという価値観があった。
それこそがまったくつまらない考え方だ。
『私はナズナでもいいんだ、ナズナも素晴らしいのだ...』
肩に入った力が抜け、視界が広がったような気がした。
どんな植物も人間も、偏った価値観で優劣をつけるものではなく、自分が自分らしく生きるということが最も尊いのだということを先生は教えてくれた。
もし、そんな風に生徒が悩んでいたら、今の私はそう言ってあげられるだろうか?
これが心からの言葉で言えれば、一生懸命自分を生きてきた自信。その証拠。