ケイ酸が表面に溜まり硬くなるのだという。
トクサを見るといつも思い出す。
お茶の先生の家の庭に小さな池があって、このトクサが生えていた。
ある日、先生が水辺に私を呼んで笑いながら
「あなたは若いから、こんな草を知らないでしょう」
お茶人らしい無地の着物の、膝から裾を手で払うようにして腰を落とすと、右のたもとを押さえ一本のトクサを引き抜いた。
一節を私に渡し、一節は先生が手に持ちお話しされる。
「私は子供の頃、ここのざらざらしたところで鉛筆の芯を削って尖らせたりしたのよ」
その着物姿の、一連の仕草がとても優雅だったのを思い出す。
その頃は気がつかなかったのだが、後になって記憶と共に映像が何回も繰り返され、着物を着た時の立ち居振る舞いを学んだと思う。
それこそが教育。
私が12歳なら、当時の先生は母と同じくまだ40代。
今の私より若かったはずだけれど、とても落ち着いていらしたから、もっと年輩だと思っていた。
「転がる石に苔は生えない」というが、年を取ってもちっとも落ち着かない。
いい意味も悪い意味も有るみたいだけれど、私はどっちなんだろう?
トクサのそばにしゃがみこみながらしみじみ考えるこの頃。