パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

杉の柩 アガサクリスティ「Sad Cypress」

 

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前回「シェイクスピア十二夜・杉の柩」からの続き・・・

エリノアは、ロディーに恋している。
それも、尋常じゃないくらい。

 

 

巻頭のシェイクスピアの暗い詩から始まるこの物語は、思いのほか優しさに満ちている。

 

主人公のエリノアは、厳しい規範で自らを律する誇り高い女性である。このキャラクターと、取り巻く人々の愛と欲望、そして展開の早さが推理を面白く彩っている。

エリノアの許嫁(いいなずけ)ロディーは神経質で、(私にとっては)魅力に乏しいと思うが、彼が魅かれる、別の娘メアリイもまた、儚(はかな)く影が薄い。
エリノアの存在をを際立たせる役割のようだ。

さらに珠玉のラストシーンは、ポワロの優しく心にしみる言葉によって、希望に満ちて終わる。

 

この小説はクリスティの中でも好きな作品で、たくさんの場面、会話が心に残っているが、今日の気分で選んでみた。

あまり後半はストーリーにかかわるので、初めのほうから書き留めてみたい。

 

たとえば、

死を間近にしたベッドで、大金持ちの叔母さんがエリノアと話すシーンは、姪に対する愛情とエリノアの苦しみに満ちている。 

「お前、幸福でないね?どうおしだえ?」

「べつに・・・本当に何でもないんですの」たちあがり、窓に歩み寄った。そして、半ば振り返ると、彼女は言った。「ね、ローラ叔母様、本当のことをおっしゃって、恋っていったい幸福なものなのでしょうか?」

ウェルマン夫人は真剣な顔つきになる。「エリノア、そうではない、たぶん、そうではないよ。他の人間を激しく慕うっていうことは、強い喜びよりも悲しみを意味するんだから。でもそれはともかく、そういう経験なしでは、人間一人前じゃあない。本当に人を恋したことのない人間は、本当に人生を生きたとは言えないからね」

人生を生き抜いた人の、含蓄のある言葉だ。


ポワロのような、人間の心理を読みつくしてきたような年寄りもまた、この物語では温かい存在である。

まだ経験の浅い、傷つきやすい若さと、悪意に満ちた世間があり、対極には世なれた大人の優しいまなざしが感じられ、トリック抜きにしても本当に面白い小説だと思う。

 

あらすじ

ロディーとエリノアは幼なじみだった。しかし愛し合う二人の前にあのバラのごときメアリイが現れた時、エリノアの心に激しい憎悪が奔流のように湧きあがった。そしてある日、メアリイは食卓を囲んでいる最中に毒殺された。犯人は私ではない! 後略  「杉の柩,裏表紙,解説より,ハヤカワミステリ」

 

 

 

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