パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

林檎の木、ゴールズワージー

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「黄金のリンゴの木、歌うたう乙女たち、金色に映えるリンゴの実」

大学生のころ読んだきりで、最近までその存在すら忘れていた。ジベルニーの花を見ているうち、「リンゴの木」という小説のことを思い出して、急にまた読みたくなり、文庫を買いに走った。(いやホントは歩いて行った)


ぼんやりと遠い記憶に残っていたのは、イギリスの田園の描写が活き活きと美しく語られていたこと。そして、悲しい恋の物語だということ。女主人公ミーガンは、「私が死んだら林檎の木の下に埋めてください」と言ったばっかりに自殺と思われ、願いとは違う教会のしきたりどおりに十字路に埋葬されてしまった。

短い小説なのだ。

再び読み返してみると、本当にすばらしい、夢のような情景が広がる。と同時に、読み進むにつれ、相手方の主人公のあきれた身勝手ぶりに腹が立つ。たぶん、年をとった分だけ、男性に辛くなったのかもしれない。


ストーリーをざっくりというと
「上流階級の青年アシャーストは旅行中に、美しい田舎娘ミーガンと出会い、愛し合い、駆け落ちの約束をする。しかし約束の前日、街へ用事にいった彼は別の魅力的な女性と恋におち、そのままミーガンを捨ててしまう。それから25年後偶然その地を訪れ、恋破れたミーガンがその後(おそらく)自殺したことを知らされる。」
というもの。

アシャースト(名前も軟弱カモ)は、ミーガンに初めて会って恋した時も、誘った時も、新しい彼女ができた時も、ミーガンを捨てた時も、煩悶(はんもん)と苦悩に陥る様子を延々と語っている。

そのくせ、25年間もそのデキゴトを忘れて幸せな生活をつづけ、真相を知ったとき、自分がいかに不幸な男なのかを嘆く。私はフェミニストでもなんだもないが、こいつは「許セーン!!」

というのは、もう10代のうぶではない私の偏見か?


ああそれなのに。小説はふんだんに美しい言葉があふれている。詩情たっぷり。訳者の方の力量もすごい。だからよけいに残酷さが際立って見えるのかもしれない。解説にあるように、美しい情景表現との対比によって彼の底辺にあるエリート意識が浮き彫りにされる。最近の言葉では上から目線というのかな?

うー。悪いところばかり書きつのって、反省。文学少年少女と、園芸好きの人には、読む価値あり。

「うす紅の蕾の中に、ただ一つ星のように真白いリンゴの花が咲き匂っていた。」 ミーガンとの逢瀬の後、アシャーストは野に咲くリンゴの花に接吻する。

一方、新しい恋人の面影を追うシーンでは、庭に咲くリラの花に顔をうずめ、その匂いを吸う様子が語られている。

清らかで素朴なリンゴの花と、どこか知的な庭の花が二人の女性を表し、象徴的だ。

心に残った一文を書き留めておこう。(抜粋)


「美的感覚をもった人間には、この世に到達できる理想郷も、永遠の幸福の港もあり得ないのだ。?芸術品の中にとらえられて、永遠に記録され、見るか読むかすれば、常に同じ高貴な法悦感と安らかな陶酔とを与えてくれる美しさに及ぶものはあり得ないのだ ―中略ー
芸術が美をとらえて、永遠のものとするように、その瞬間をとどめておくことはできないのだ。」

 
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写真:リンゴの老木 ジベルニーにて。偶然、本の装丁とそっくりな木。
小説:リンゴの木 ゴールズワージー 三浦新市訳 角川文庫

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