A)ヨーロッパにおける香料・香水の長い歴史の中で、フランスに香水文化が花開く大きなきっかけは、中世イタリアとフランスの縁組にありました。
イタリアのローマ教皇クレメンス7世の縁戚であるカトリーヌ・ド・メディシス(メディチ)は、1533年にフランスのアンリ2世に御輿入れします。
15世紀末のイタリアはルネサンスの絶頂期で、ヨーロッパの中では芸術、文化、ファッションの最先端を担っていました。一方、それに比べればフランスはまだ粗野な国。例えば今のようなテーブルマナーも確立されておらず、手づかみで食事をしていたようです。
カトリーヌ妃は御輿入れに際し、フォークを使って食事をすることや、アイスクリーム、マカロンといったお菓子、女性らしい横座り乗馬方法などたくさんの文化をフランスにもたらしたと言われています。
その時に彼女が連れて行った随行員の一人に、調香師レナード・ビアンコがいました。妃はフランスにも香水の文化を広めるため、香料の製造を奨励。温暖で、香料栽培に適している南仏のグラースをその地に選びました。
もうひとつの大きな理由として、グラースが革製品の生産地だったこともあります。
なぜか?
当時は革のなめし技術が今ほど進んでいなかったので、革特有の臭いが強くありました。この悪臭をマスキング(隠す)するため、手袋などの革製品に香料を付香するのが流行していました。そのため、両者を近くで製造するのが都合がよかった、という説が多く言われています。
さらに、香料の製造に、動物性油脂が必要だという背景もありました。
花から香料を抽出するためには、豚の脂(ラード)や牛脂(ヘッド)を使います。
脂肪(ポマード)を塗ったガラス板の上に花を並べて香気成分を吸収させる方法です。
これを、冷浸法(アンフルラージュ)といいます。
一方、革をなめす時には、裏についている脂肪は掻き取られ、不要になります。
アンフルラージュのために使う脂肪が容易に手に入る場所がグラースであった、ということもあったと思います。
上の写真は、シャッシーと呼ばれるガラス板です。脂を塗り、花を置いたガラスが、何枚も積み重ねるように木枠に入っています。香料の製造については別の回で説明しますね。(グラース香水博物館)
その後、フランスの税は重くなっていきます。とてもやっていけないと思った皮革業者は、スペインへと移って行きました。今でも、スペインは革工業で有名です。
しかし、植物は地面に生えているので、この地を離れることができず、そのままグラースは香料産業の地として残りました。