「Hyouge」 Fragrance story ①世界のグリーンティノートの変遷
ヴァン・ヴェール(ピエール・バルマン)が1946年に発売されて以来、グリーンタイプはグリーンを強調したり、フローラルやシトラスに振れたりしながら今日まで続いてきた。
その中で、緑茶ノートの香水は1990年頃から始まったとされている。1999年エリザベスアーデンの「Green Tea(グリーンティ)」は、緑茶の香りをテーマにした新しいグリーンとして注目された。
しかしその香りは「グリーンティ」というカタカナをあてるのがふさわしい。香調は爽やかで透明感がある。日本人の自分から見れば、むしろレモンティに近いと感じたものである。
その後も、緑茶を謳った香水のヒット作が続く。むろん、緑茶イコール日本茶とは限らない。
今から20年前のパリ。当時は海外にまだ「日本茶」はあまり知られていなかったと思う。
フランスの家庭で「グリーンティ」といって出されるお茶は中国緑茶に近く、日本人が馴染んだみずみずしい緑や香りとはほど遠いものだった。(中国には緑茶、白茶、黒茶、紅茶、青茶がある)
逆に、日本に来た外国の人に抹茶を出しても「苦すぎる」と当時は人気がなく、砂糖をくださいと言われたことがある。抹茶があまりにもきれいな緑色をしているので、「てっきり着色していると思った」とフランスの人が言うのを聞いてびっくりしたこともある。
そもそも、パリに和食店は少なかった。しかし「和食文化」が次第に浸透し、寿司店(経営は日本人とは限らないが)が飛躍的に増え、やがてパリのお蕎麦屋さんで上手に箸を使う外国人も目にするようになった。
一方で、日本ではペットボトル入りの緑茶が1992年に売り出され、急須で入れるリーフティよりも簡便に飲めるということで2004年ころまでに急成長する。どちらかというと、飲みやすさ、まろやかさなどが強調されていたと思う。
その頃から、いつか日本のお茶にある渋み、苦味、うまみまで表現した香りを作ってみたい、という気持ちが芽生えた。特に、茶葉を引いて粉にした「抹茶」。お薄茶(うすちゃ)を点てた時の泡立ちまで表現したいと考えたのである。
「ひょうげ(旧織部)」は2008年、ブランドとして最初に発売した10本の香水のうちのひとつであるが、発売から数年間この香りはさほど注目されていなかった。
フレグランス界でも2000年以降、グルマンやフルーティ・タイプなど、甘く、より甘く、わかりやすい香りが流行。その中で繊細なグリーンティのタイプは埋没してしまったかのようだ。
そんな折、食の世界の抹茶ブーム。日本文化が海外にも広く知られるようになり、健康志向ともあいまって、セレブから中心に広まったようである。今では、抹茶ラテといった飲み物や、ケーキ、クッキーなどお菓子には当たり前の素材になっている。
こうして一度落ち着いたものの、世界中で食品としての抹茶フレーバーが盛んになったためか、あるいは日本の侘(わ)び、寂(さ)びなども海外で興(おも)しろく思われたものか、この数年は、再びグリーンティ、あるいは抹茶や茶道をテーマにした香水が海外ブランドにみられるようである。
それでも、ヨーロッパへ日本から持っていった新茶などおみやげに出せば、やはり彼らには強すぎるらしく、午後3時以降は飲めない(眠れなくなるから)と言う。確かに、日本茶はカフェインが強い。
しかし「すし」もブームではなくきちんと定着しつつあってポピュラーになり、食材も海外でずいぶん手に入りやすくなった。少しずつ本当の日本の味が浸透していくのは嬉しい。
食と香りは、後になり先になり、共鳴しながら流行しているようだ。とはいえ茶道がそうであるように、流行の中にあっても芯のぶれないものというものがあり、「織部」もしかり、そういう流されないものをこれからも作って行きたいと思っている。