朝の一服、抹茶。
泡はきめ細かいのが、ほどほどにあるのが好き。
でも、スフレじゃないんだから、あんまり点(た)てすぎても美味しくない。
赤坂の料亭で、食事が終わった最後に、電動泡だて器でホイップしたかと思うくらい、盛大に泡立てた抹茶が出てきたときは興ざめした。
「朝茶に別れるな」というのは、朝のお茶の習慣は続けなさいよ、というような意味である。
お茶が健康によいことは経験的に知られていて、朝茶は厄除けや開運と結びつけているそうだ。
また、「朝茶は三里行っても飲め」というように、朝茶も飲まずに急いで出掛けなければならない時でも、途中で必ず飲んだほうがいい。
16歳の時、英国のサリーにあるセルスドンというホテルに滞在したことがある。
毎朝起きると、お部屋のドアの外に紅茶のセットが置いてあった。
朝食はその後に、1階のダイニングでまた食べて、そこでもお茶が出る。
午後4時くらいにも大広間でお茶が出て、こどもにはちょっと退屈な、なんだか一日中お茶の時間だったような記憶がある。
朝茶の習慣は世界中にあって、地球は回っているので、私が三時のお茶をしているときにも、どこかで起き抜けのお茶を飲んでいる人たちがいるに違いない。
茶はすがすがしい香りが、花のようだと言われたりするけれど、花にもいろいろあって、むしろ茶の匂いに似ている花があるという方が正しいような気がする。