
アスファルトの道路の脇にも、菜の花が咲いている。
もこもこと鮮やかな緑と黄色のコントラスト。
3月12日は、伊藤静雄の命日「菜の花忌」。
正直この人の名はあまり知らなかったのだが、菜の花を調べているうちに行き当たった。
「春のいそぎ」という詩集のタイトルに惹かれて読んでみた。
春という明るい響きに反して、戦争という時代の哀しさ、憤りを抒情的に記している。
こうした、耽美的な詩なり文章を書く作家は、早世する人が多いような気がする。
世の中を渡っていくには、感情の襞(ひだ)が柔らかすぎるのだろうか。
はたまた、健康すぎるものには、詩情がわかないものなのか?
あるひ、伊藤静雄を年少の友人、それも剣道二段の、かつ詩人志望の受験生が訪ねて来る。
彼は勉強中に、裏山の蝉の声に耐えられなくなると語る。
静雄は言う。
「蝉の声がやかましいようでは日本の詩人にはなれないよ」
といいつつも、その心情を理解するのである。

「なづな花さける道たどりつつ
家の戸の口にはられししるしを見れば
若者や勇ましくみ戦に出で立ちてここだくも命ちりける
手にふるるはな摘みゆきわがこころなほかり 」
伊藤静雄 春の急ぎ 「山村遊行」より一部抜粋